[戦後76年]

伊藤半次さんが沖縄から送った最後の手紙。博文さんの父・允博さんに宛てていた=1944年11月25日(博文さん提供)

祖父の伊藤半次さんの戦地からの絵手紙や、所属していた部隊の記録、戦友の証言などを本にまとめた孫の伊藤博文さん=27日、那覇市内

伊藤半次さんが沖縄から送った最後の手紙。博文さんの父・允博さんに宛てていた=1944年11月25日(博文さん提供) 祖父の伊藤半次さんの戦地からの絵手紙や、所属していた部隊の記録、戦友の証言などを本にまとめた孫の伊藤博文さん=27日、那覇市内

 太平洋戦争中に、戦地から家族へ約400もの絵手紙や書簡を送り、沖縄で戦死した一人の兵士がいた。福岡県出身の陸軍兵、伊藤半次さん(享年32)は1945年、本島南部で亡くなった。孫の博文さん(52)=福岡市=は沖縄に通い、戦争体験者を訪ねるなどして沖縄戦への理解を深めた。「一人の兵士の絵手紙を通し、戦争の悲惨さと平和の尊さを知ってほしい」。終戦記念日の8月15日、本にまとめて出版した。(社会部・大城志織)

■家族への愛情

 半次さんは40年、旧日本陸軍に入隊した。その後は旧満州(中国東北部)に出征。カラフルな絵を添えた手紙や書簡に戦地の暮らしをつづり、家族への愛情を込めた。

 44年10月下旬に第32軍(沖縄守備軍)直属の野戦重砲兵第23連隊に転戦。約7カ月後の6月18日、沖縄本島の小渡(現糸満市大度)で亡くなった。

 約400の便りは、ほとんどが旧満州からだった。沖縄から届いたのは3通のみで、44年11月が最後。半次さんの妻が戦後も大切に保管してきた。

 2013年に死去した博文さんの父は、便りを「一人でも多くの人に知ってほしい」と、平和を伝えるメッセージとして託した。

■祖父を知る旅

 これをきっかけに、博文さんが祖父を知る旅が始まった。

 筆まめだった祖父が3通しか送れないほどの激戦地だった沖縄で、どんな状況にいたのだろうか-。

 陸軍の資料などで調べたが、死亡理由は「玉砕のため不明」。手掛かりを得られなかった。

 博文さんは、たびたび沖縄を訪問。元白梅学徒隊ら体験者から話を聞き、沖縄戦の悲惨な状況を実感した。

 那覇市歴史博物館で手紙の展示を予定していた2017年、館の学芸員が沖縄からの手紙の内容を見て、祖父の部隊が首里攻防戦で戦っていた手掛かりを見つけてくれた。

■手紙を通して

 19年には同じ部隊で戦死した遺族と出会い、生き残った兵士がまとめた冊子「野戦重砲兵第23連隊抄史」を入手。祖父が戦死した6月18日に、米軍と壮絶な戦闘を繰り広げていた事実にたどり着いた。

 本のタイトルは「伊藤半次の絵手紙 戦地から愛のメッセージ」(集広舎、フルカラー272ページ、税込み2200円)。半次さんの便りに加え、部隊で生き残った兵士や遺族の話、元白梅学徒隊の武村豊さんと語り部の上原美智子さんの証言なども盛り込んだ。

 博文さんは「絵手紙を通して、家族との当たり前の日常を奪った戦争はむなしく悲しいものだと分かる。戦後70年以上たったが、まだまだ資料から学べることは多い。沖縄戦の理解を深める本になれば」と期待した。県内の書店でも購入できる。