[新型コロナ 沖縄の今]
沖縄の新型コロナウイルス緊急事態宣言は5月23日から4度の延長を経て、約3カ月に及ぶ。出口の見えない感染拡大は、県民の生活を締めつける。コロナ禍以前の「普通の暮らし」から一転、家計が限界に達する県内の女性は、国に、県に「私たちのことが見えていますか?」と声を振り絞る。開催ありきの東京五輪は終幕し、パラリンピックの日程も折り返し地点に差し掛かった。「公助」は遠く、県内に広がる困窮の実相は見えない。
■通知にうなだれる
本島南部のユリさん=仮名、20代=は先日届いた自治体の「通常保育休止」の通知にうなだれた。通園先で濃厚接触者になった子どもの登園自粛が明けたばかり。「また働けなくなる」
夫と、保育園に通う子ども4人の計6人家族。夫は観光関連企業の社員、自身は派遣事務員で働き、進学やマイホームに備え100万円余りを蓄えてきた。順調な日々が崩れ始めたのは、県内で感染が初めて確認された昨年2月だった。
コロナ禍で県内を訪れる観光客が減り、ユリさん=仮名、20代=の夫の収入は大幅に減った。30万円以上あった年2度のボーナスは約5分の1に、月々の手取りは平均10万円に届くかどうか。勤務先はダブルワーク禁止だ。収入は安定しないが、ようやくつかんだ正社員の座を手放さないように「あと少し」と耐え続ける。だがそれも、もう1年半余り。「あと少し」の先は見えない。
ユリさん自身、4人目の妊娠・出産が重なり、昨年夏に派遣事務の契約更新を打ち切られた。産後半年で居酒屋のアルバイトを始めたが、すぐに店は県の要請で時短営業に。客は来ず1日のシフトに入れるのは従業員1人。従業員同士で週1度ずつシフトを譲り合ったが、やがて酒を出せなくなった店は休業した。
■東京五輪、遠い国のよう
保育園は、発熱すると最低3日は登園を自粛する規則。子どもの微熱はしばしばで、急に仕事を休む可能性を伝えると職探しは難航した。つてを頼り先月から食堂で働き出したが、子どもの濃厚接触による登園自粛や通常保育休止で勤務はままならない。「頑張ろうにもどう頑張ったらいい」
夫婦の稼ぎは今、合わせて月20万円未満。家賃や光熱費、待機児童で複数園に割り振られた通園先への送迎に使う車の維持費、園の給食費-。固定費を引くと手元に残るのは数万円。実家で育てる野菜を頼りにしのぐが食費は足りず、癒やしだった夫婦の晩酌も、子どもたちの誕生日プレゼントもお預けのままだ。
遠い国の出来事のような思いで東京五輪の華々しいメダル争いを見つめた。もう、100万円の貯金は底を突く。戻れないところにまで、ずるずると落ちる感覚に襲われる。今が一番つらい、という。「今は不安や焦りよりも怖い。来月から、どうしよう」
■ボランティアから粉ミルク
ユリさんは、会員制交流サイト(SNS)で探したボランティア団体「女性を元気にする会」から食料や粉ミルクの配達を受け取る。コロナ禍で生活に苦しむ人に向けた国の特例貸付制度は「貸し付けと聞いて遠慮した」、生活保護は「車も手放せないから抵抗がある」と、公的支援に距離を置く。
元気にする会も寄付と支援金で足りず、ほぼ自腹で活動する。配達依頼はコロナ前の1カ月当たり5世帯程度から急増し、今は60世帯程度。主に2人で配達を担うが、本業の仕事を減らして動き回っても、現在100世帯以上が待機している。「自助だけでなく、共助も限界だ」。代表のゴージャス理枝さんは訴える。(社会部・篠原知恵)
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