鉄板の上で跳ねる脂。食欲をそそる音を立てて登場するステーキは、県民だけでなく、観光客にも親しまれ、沖縄の食文化として根付いている。発祥は1950年の越来村(現・沖縄市)とされる。米兵相手の店だったため、赤身肉をメインにスープとサラダを先に出すなど、アメリカ文化が色濃く反映されている。日本復帰やバブル景気などの歴史にもまれながら、目の前で調理する鉄板焼きスタイルや、格安ステーキなどの新ジャンルも登場。新規参入組が県外進出を果たす一方、老舗店の人気も健在で「沖縄ステーキ」は多彩に進化している。ブランド化を目指す推進協議会「COOKS(クックス)」も立ち上がり、新たな動きも出てきた。沖縄ステーキの歴史を探る。(編集委員・照屋剛志)

元山嘉志富さんの2号店とみられるニューヨークレストラン=1950年代、沖縄市

沖縄の主なステーキ店の歴史

元山嘉志富さんの2号店とみられるニューヨークレストラン=1950年代、沖縄市 沖縄の主なステーキ店の歴史

■喜界島出身者

 沖縄初のステーキハウスは、鹿児島県喜界島から移住してきた故・前田貞輔さんが1950年に越来村(現・沖縄市)に開いた店舗とされている。同じ喜界島出身の故・元山嘉志富(かしとみ)さんが51年に開業したニューヨークレストランが発祥との見方もある。創業者を含め、当時を明確に知る人がおらず、真相は定かではない。

 ただ、いずれも米軍が駐留している越来村で、米兵を相手に開いたのが始まり。喜界島のある奄美群島は、琉球政府の管轄だったため、職を求めて沖縄本島への移住が多かった。

 米兵相手の店が少なかったこともあり、ニューヨークレストランは毎日行列ができるほど繁盛する。元山さんは、喜界島から若者を呼び寄せ、従業員として面倒を見た。

 調理の技術が身に付いたら、独立を支援。元山さんからののれん分けを含め、ニューヨークレストランは沖縄本島に18店舗以上あったという。

 那覇市の老舗店ジャッキーステーキハウスもその一つ。先代の後を継ぐ藤浪睦子会長(73)は「旧正月には、のれん分けしたお店の家族たちみんなで集まって、にぎやかに食事をした」と懐かしむ。

■県民にも定着

 日本復帰の72年前後は、ステーキ店の創業が相次ぐ。パスポートがいらなくなり、本土からの観光客が急増。沖縄は、復帰特別措置で輸入牛肉の関税が、本土よりも低く抑えられた。日本人観光客にとって、高品質の牛肉が、割安で食べられるとのイメージが定着していく。

 70年代には来店客の目の前で調理する鉄板焼きスタイルが登場。米兵やアメリカ人ビジネスマンから、手厚いおもてなしと人気を集める。

 バブル景気に差し掛かった80年代半ばから、県民も気軽にステーキを食べるようになっていったという。沖縄市のパークアベニューのニューヨークレストランを継いだ徳富清次さん(76)は「円高で米兵が減る一方で、県民の家族連れが増えていった」と振り返る。

■開店ラッシュ

 2000年代は、沖縄ブームによる観光客の増加に合わせて、ステーキ店も開店ラッシュを迎える。那覇市の国際通りには、老舗店から新規参入までこぞって出店。レンタカーの普及で観光客の動きが多様化する中、リゾート地での開店も相次いでいる。

 15年に格安ステーキの草分け「やっぱりステーキ」が創業し、人気を博すると、千円ステーキを提供する店舗が広がった。

 県民の日常的な利用を狙い、住宅地での出店も進んでいる。ステーキは、さらに身近になってきた。沖縄ステーキ推進協議会(COOKS)の事務局を務めるブルームーンパートナーズによると、人口10万人当たりのステーキ店の数は、沖縄は10・78店で、全国平均の3倍で断トツ1位。

 同社の伊波貢代表(54)は「ステーキは、沖縄の食文化として浸透していると言える」と話した。

<連載・沖縄ステーキ史 since1950>