沖縄市出身の上与那原寛和選手が、東京パラリンピック陸上男子の1500メートル(車いすT52)で銅メダルに輝いた。
2日前の400メートルでも銅メダルを獲得しており、今大会2個目のメダルとなった。
2008年の北京大会マラソンの銀から13年ぶり、パラ大会通算では3個目の輝かしいメダルである。
たゆまぬ努力が大舞台で実を結んだ。快挙を心からたたえたい。
1500メートル決勝で、上与那原選手はスタート直後に3番手につけると、後続の追随を許さず順位を守り抜いた。終わってみれば4位に10秒以上の差をつけていた。
驚いたのは決勝のタイムの3分44秒17が、5年前に出した自己ベストを5秒以上も更新していたことだ。しかも当初の目標タイムはさらに高く、必ずしも納得いく記録ではないという。
決勝に出場した7選手のうち20代は3人、30代が1人、40代2人。50歳の上与那原選手は最年長だった。
その中でメダルを手にできたのは、競技仲間と競い合い技術を磨いたたまものだ。これまでの経験も、レース展開を見極め臨機応変に対応するのに生かされた。
コロナ禍で納得いく最終調整ができないなどの困難を乗り越えての快挙だ。
「若い方にはまだ負けていない」との言葉には自信がみなぎっている。既に今後に目を向け、進化を続ける50歳パラアスリートのさらなる活躍が楽しみだ。
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上与那原選手は28歳の時にバイク事故で頸椎(けいつい)を損傷した。自暴自棄になった時期もあったという。
31歳でリハビリとして競技を始め、努力を積み重ねて国内外の大会で上位の成績を収めた。パラリンピックには4大会連続の出場だ。
競技から一夜明けて開かれた会見で、上与那原選手は「守り神のシーサーが守ってくれた」と沖縄からの応援に感謝した。
一方で応援した側もその活躍に勇気づけられている。
沖縄市の就労支援継続B型事業所「愛音楽(アネラ)はうす」を運営し、上与那原選手と交流のある我如古盛健さんは「僕の中では金メダル」とたたえた。
地元出身の選手が世界を相手に挑む姿は、障がいの有無を超えて、見る者に前へ向く力や一歩踏み出す力を与えてくれる。
二つのメダル獲得は、コロナ禍の県民を元気づける朗報だ。
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パラリンピックには、うるま市出身の喜納翼選手も大会最終日の女子車いすマラソンに初出場する。
19年の大分国際車いすマラソンで日本記録を樹立した注目の30歳だ。初めて臨む大舞台で、持てる力を全て発揮してもらいたい。
大会は他にもさまざまな競技があり、一般的にはなじみの薄いパラスポーツもある。共生社会の実現を目指すパラリンピックの趣旨にも向き合いながら、さまざまな競技を知り、国内外の選手の躍動する姿に目を向けたい。