菅義偉首相が自民党総裁選に立候補せず、辞任する意向を表明した。

 当初、党の臨時役員会で、週明けの6日に予定していた党役員人事について、一任を取り付ける段取りだった。

 そのシナリオが崩れ、辞意表明の場に変わったのはなぜか。総裁選に勝つため露骨な延命策を繰り出してきた菅氏が、一転して白旗を掲げたのはなぜか。

 最大の理由は新型コロナウイルス対策で信頼を失い、有権者から目に見える形で「不信任」を突き付けられていたことだ。

 重要な選挙で相次いで敗れ、地元横浜市の市長選では予想を上回る大敗を喫した。

 東京五輪も政権浮揚につながらなかった。内閣支持率も20%台まで急落した。

 コロナ対策では、感染爆発や医療崩壊が起きているにもかかわらず楽観論が目立ち、市民の心に刺さるような行動変容を促すメッセージを発信することができなかった。

 強権的、独善的な政治手法は、多くの有権者から「首相は自分の見たいものだけしか見ていない」と痛烈な批判を浴びた。

 総選挙を控え党内では「菅首相では選挙は戦えない」との大合唱が起こった。起死回生のつもりで打ち出した延命策は逆に、強引過ぎると党内から強い批判を浴びた。

 幹事長人事で一発逆転を狙ったものの、それにもつまずき万事休す。

 権力の源泉である解散権を封じられ、人事権すら行使できないまま、わずか1年でギブアップしたのである。

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 安倍晋三前首相は体調不良のため2度にわたって首相の座を降りた。跡を継いだ菅首相も、国民の審判を一度も受けることなく、退陣することになった。

 野党が憲法に基づいて要求していた臨時国会は召集されず、総裁選を巡る混迷の果てに、唐突に、政権から降りることになったのである。

 菅政権は、安倍氏の基本政策を引き継ぎ、「負の遺産」まで背負ってスタートした。 「安倍・菅時代」に権力の官邸集中が進み、国会(立法府)と政府(行政府)との間でも、自民党と官邸の間でも、官僚機構と官邸の間でも、チェック・アンド・バランスの関係が崩れた。

 「安倍・菅時代」に官邸はわが世の春を謳歌(おうか)した。半面、官僚機構は劣化し、国会は監視機能を弱体化させ、自民党も著しく活気を失った。

 「安倍・菅時代」は終わったと言うべきだろう。

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 総裁選と総選挙がどういう形で行われるにせよ、新しい時代を切り開く大胆な取り組みと政策が求められる。

 「安倍・菅時代」を継続させようと、その場しのぎの対応を繰り返すようでは、日本の政治に未来はない。

 その責任を野党も負っている。「菅首相と戦えば勝てたのに」という声が野党サイドからも漏れ伝わってくるが、そのような後ろ向きの姿勢では支持率は伸びないだろう。 政権交代を目指すなら、堂々と正論をぶつけ、政策で勝負し、有権者の受け皿になることだ。