【連載・銀髪の時代 「老い」を生きる】
認知症と診断される前の知花キヨさん(87)が、名護市で1人暮らしだったころ。沖縄市から訪ねた娘の新川美津留さん(50)は「そうめんチャンプルー」と差し出されたひと皿に驚いた。「具がなく、そうめんだけ。そのめんも古くて傷んでいた」。キヨさんを傷付けないよう「シンプルで…おいしいね」と言うのがやっとだった。
若い時は北大東島で農業に励み、家族だけでなく、製糖期の援農者たちの胃袋を満たしたキヨさん。名護市に引っ越した後も実家の台所はキヨさんの「聖域」だったが、心配した美津留さんが戸棚や床下の収納を開けてみると、砂糖やしょうゆ、食器用洗剤など独居生活には不要な大量のストック。冷蔵庫は賞味期限切れの食材が目に付いた。「家具の下や引き出しからも、食べかけの刺し身やパンが出てきた。それからは実家に来るたび、古いものは母に内緒で廃棄した」
キヨさんに変化が現れたのは18年前、夫の俊夫さんに78歳で先立たれてからだと美津留さんは言う。大家族の家事を一手に担ってきた半面、金銭管理や公的な手続きは俊夫さんに任せていたため、役所や銀行に行くにも付き添いが必要だった。1人残された不安から頻繁に電話をかけてくるようになり「5分話す間にも泣いたり、笑ったり、怒ったり。感情の振れ幅が大きくなった」と美津留さん。介護保険サービスを利用する過程で病院で脳画像検査を受け、認知症と告げられたのは80歳ごろだった。
一方で美津留さんにはもう一人、支えるべき大切な存在があった。脳腫瘍のため2014年2月に50歳で亡くなった夫の博文さんだ。15年に及ぶ闘病生活の後半には約1年、在宅介護を経験。最期の2年10カ月は2人の息子とも協力し、ホスピス病棟を見舞う毎日だった。
さまざまな事情から4人の姉や妹はキヨさんにあまり関われず、美津留さんがたびたび職場から西原町の博文さんの入院先へ、さらにキヨさんが待つ名護の実家へ向かい、日付をまたいで帰宅した。「あのころは目の前のことで精いっぱい。どうやって乗り切ったんでしょうね」
ある日、キヨさんと長時間連絡が付かず、警察に通報した出来事が、そんなギリギリの現状を変える“決定打”となった。深夜まで捜し回った末、近所の知人宅にいることが判明。駆け付けた現場で何事もなかったような母の寝顔に美津留さんは全身の力が抜け、そして痛感した。「もう、母を一人にするのは限界」。博文さんの四十九日法要を終えると、自宅でキヨさんを引き取ることを決意する。(「銀髪の時代」取材班・新垣綾子)