銀髪の時代 「老い」を生きる

還暦目前、一人で母を世話 募る不安「できる間は」【銀髪の時代】

2017年2月4日 18:35

【連載・銀髪の時代 「老い」を生きる】

一人で暮らす母明美さん(右)。政司さんに言われて、毛布をひざに掛けた

 「寒いよー今日は。暖かくして」。那覇市の大城政司さん(56)が、市営住宅で一人で暮らす認知症の母・明美さん(76)の部屋に入りながら、声を掛ける。

 畳間の障子を開けると、明美さんがソファにぽつんと腰掛けていた。政司さんに気付き、ついていないテレビの画面を眺めていた顔がこちらを向く。外の気温は15度。政司さんの言葉に、長袖シャツ1枚だけを着た明美さんは思い出したように上着を羽織り、膝の上で毛布を広げた。

 「今日、デイケアだったでしょ。昼ご飯は何食べたの?」。5時間ほど前の話を、政司さんが聞く。「分からん。忘れてる」「じゃあ、何かに書いておいたらいいよ」。最近の明美さんは、デイケアで食べた昼食も思い出せない。

 政司さんはスーパーで買ったジューシー弁当とくず餅をテーブルに置き「冷蔵庫に入れておくからね」と飲み物をみせる。「じゃあね。ちゃんと暖かくしてよ」。玄関を出ると明美さんが鍵を閉めたのを確認し、家路につく。

 政司さんは1年ほど前、明美さんの介護のため、市営住宅の近くに引っ越した。独身だからと安いワンルームを探したが、周辺に見つからない。母に何かあったときにすぐ駆け付けられるよう、近さを優先して家賃7万円の2LDKの部屋を借りた。政司さんは「一人で住むには高いけど、母のことを考えると仕方ない」と声を落とす。

 政司さんが20歳のとき、両親が離婚。学費が払えなくなり、大学を中退して就職した。実家を出て働きながら、育ち盛りの弟2人を抱える明美さんに仕送りを続け、支えてきた。

 だが離婚後、一人で暮らしていた父が一昨年、介護老人保健施設や特別養護老人ホームに入居。それから約1年後に亡くなるまで、月々の費用で足りない分は政司さんの稼ぎで支払った。

 数十万円かかった葬儀費用も、働きながらためたお金を使い、全て一人で肩代わりした。2人の弟には「3人で割る」と伝えたが、まだ立て替えたままだ。

 県外に移住した次男とは疎遠で、県内に住む三男も現在、明子さんに会いに来るのは月に1回ほど。認知症で目の離せない母のそばで世話しているのは、政司さん一人だ。

 「お金を入れるのが無理でも、せめて会いに来る回数を増やしてご飯を一緒に食べるとか、できることはしてほしい」と本音を漏らす。

 経済的、心理的に追い詰められながら、精いっぱいの日々を過ごす政司さんも、あと3年で還暦。定年退職を迎える年齢だが、仕事は続けていくつもりだ。

 自分が病気になったら-という不安を抑え、「他に母を世話してあげられる人は誰もいない。できる間は、自分がみようと思う」と自らに言い聞かせた。=文中仮名(「銀髪の時代」取材班・新垣卓也)=この項おわり。

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