[沖スポプラス]

優勝し、甲子園のマウンド上で喜ぶ宮城夢叶ら神戸弘陵ナイン(提供)

一時帰省し、母民子さん(左)と父忠さん(右)に祝福される宮城夢叶=8月25日、名護市大北・名護ボールパーク

優勝し、甲子園のマウンド上で喜ぶ宮城夢叶ら神戸弘陵ナイン(提供) 一時帰省し、母民子さん(左)と父忠さん(右)に祝福される宮城夢叶=8月25日、名護市大北・名護ボールパーク

 球児たちの聖地に、沖縄出身を含む高校女子硬式野球の選手たちが立った。8月23日、甲子園球場で初めて開催された全国高校女子硬式野球選手権大会の決勝。神戸弘陵3年生の宮城夢叶(ゆめの)=上本部中出=は4-0の最終七回裏に遊撃手で出場し、優勝の瞬間をグラウンドで迎えた。それから約2週間。「甲子園で女子の試合が初めて行われ、今までの大会よりも注目を浴びた。これで終わりではなく継続的に開催し、もっと多くの人に見てもらえる大会になってほしい」と女子野球の発展を願った。(比嘉大熙)

 高知中央との決勝で4-0とリードした最終回、ベンチで石原康司監督から遊撃手での起用を告げられた。「よっしゃー! ここでプレーできる」と喜びがこみ上げた。

 小3で野球を始めてから、甲子園はずっと憧れの場所。だが「女子高校野球の大会は甲子園では開催しない」と諦めていた。そんな中、高校最後の選手権大会の決勝が甲子園で行われることが決定。チームは決勝まで勝ち上がり、夢舞台での試合が実現した。

 「今までやってきた球場よりも迫力があって、雰囲気が全く違った。あそこで試合ができたのは一生の宝物」と感慨に浸る。

 上本部中時代は軟式野球部に所属し、男子に交じって練習した。県選抜の沖縄ガールズでは軟式の全国大会で初戦敗退。「このままでは終われない。日本一になりたい」との気持ちを募らせた。

 当時沖縄の高校には女子硬式野球部がなかったため、県外に進学を希望した。強豪・神戸弘陵の練習体験会に参加し、「ここでやりたい」と入学を決めた。

 手続きが遅れて寮に入ることができず、母と2人で始まった神戸での暮らし。慣れない硬式球や周囲のレベルの高さに、何度もくじけそうになった。それでも「自分で選んだ道。ここで頑張ろう」と踏ん張って練習に励み、3年生になってレギュラーの座「9番・遊撃」をつかんだ。

 だが最後の選手権大会が始まる1カ月前、紅白戦の守備で捕球した直後に左肩を脱臼した。懸命なリハビリで全体練習に復帰したのは大会1週間前。万全の状態にはほど遠かった。

 それでも、大会では1回戦から試合終盤に守備固めの遊撃手に起用された。打席に立つ機会こそ少なかったが、得意の守備でチームを鼓舞した。準々決勝の福井工大福井戦では4-1の七回裏2死一、二塁、二遊間を抜けそうな打球をキャッチ。相手の反撃を断ち切る好プレーで、チームの勝利に貢献した。

 約10年間、泥にまみれながら続けた野球はこれで引退する。「県外で苦しいこともあったが甲子園で日本一も経験でき、諦めずにやり切ることが大事だと学んだ。今後の人生でも、最後までやり切ることを大切にしていきたい」と力を込めた。