かつて欧米諸国や日本では、(内国)植民地から文化財、遺骨、器物などがしばしば正当とは言えない方法で収集され、時には生身の人間すら展示対象となった。それらの行為には、人類学者らが深く関わった。いまその行為を問い直し、遺骨や器物の返還を求める運動が世界的な広がりを見せている。世界各地の事例をテーマに研究者らに寄稿してもらった。

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 学問とは自由に真理を探究することだ、といわれてきた。しかし、この自明の理も、いまとなっては多少の留保が必要である。なぜなら、20世紀の(暴力的)歴史は、真理の探究が社会的制約と複雑に絡み合っていることを暴露してしまったからだ。たとえば、ナチス政権下で起きた暴力への反省から、「ニュルンベルク綱領」が成立し、医学研究者が実験の被験者に対して負う説明責任を明示している。学問に携わる者は真理の探究への制約を否認することではなく、制約の起源と向き合うという責任を通し、はじめてその自由を得ることができる。真理の探究は、無償で与えられ、社会で自由に行使できる特権ではなく、社会に対し説明責任をはたしたあと、許される。

 以上の理念のもと、現在、わたしは(「連載」というかたちで今後、本紙に登場していただく)分担者とともに「先住民族研究形成に向けた人類学と批判的社会運動を連携する理論の構築」という研究を進めている。

 20世紀を振り返れば、グローバル化と脱植民地化は、(広義の)人類学に大きな影響を与えてきた変化である。身近な出来事を例にとれば、「世界のウチナーンチュ大会」の開催は世界の連結を意味するグローバル化の、「琉球独立論」の主張は自己決定を求める脱植民地化の、それぞれの事例と解釈できる。一方において、グローバル化は現在も継続中であることは明白だ。他方において、脱植民地化も植民地の独立をもって終わったとはいえず、自己決定を求める先住民族運動によって継承されている。

 この二つの変化は矛盾しないどころか、グローバル化は先住民族運動の隆盛を可能にしてきた。世界規模で連携し、自己決定を求める先住民族の活動は、知の領域では先住民族が自らのためにおこなう研究である先住民族研究を形成する。それは、これまで世界の先住民族を研究対象にしてきた人類学に反省を迫る。先住民族研究は、人類学者らに対し、研究成果の共有や研究課題についての説明責任をつきつける。先住民族研究と人類学とは分断されている。

 先住民族運動は、...