沖縄市園田のステーキハウス四季本店で、1972年の創業時から輝いていた縦型のネオン看板が老朽化のため、6日に撤去された。創業者の當山政順さん(82)は「お客さまが入るように、とにかく大きく目立つように作った」。米兵から人気の出た鉄板焼きステーキは、今では県民にも親しまれている。當山さんは「49年間、お店を支えてくれた」と感謝した。(編集委員・照屋剛志)

1972年の創業時から掲げられたネオン看板。左の縦型看板が撤去された

創業時から掲げられ、6日に惜しまれつつ撤去されたステーキハウス四季の縦型のネオン看板の前に立つ創業者の當山政順さん(中央)、恵史社長(右から2人目)、鈴二郎さん(右端)=4日、沖縄市園田

撤去された看板。軽トラックの荷台から大きくはみ出している

1972年の創業時から掲げられたネオン看板。左の縦型看板が撤去された 創業時から掲げられ、6日に惜しまれつつ撤去されたステーキハウス四季の縦型のネオン看板の前に立つ創業者の當山政順さん(中央)、恵史社長(右から2人目)、鈴二郎さん(右端)=4日、沖縄市園田 撤去された看板。軽トラックの荷台から大きくはみ出している

 ステーキハウス四季は、沖縄が日本に復帰した72年8月に沖縄市上地の通称「中の町なかどおり」に開店した。

 店は国道330号やゲート通りから、通り1本裏手にあったため、當山さんは「ゲート通りからも見えるように目立つ看板にこだわった」と説明した。縦型で高さ6メートル、幅2メートルの看板は当時としてはかなり大きく、同業者から作り方などの問い合わせも多かった。

 ただ、ネオン看板に多額の費用をかけた割には、開店直後は客が来なくて気をもんだという。当時は珍しかった鉄板焼きスタイルは徐々に浸透し、米兵を中心に人気を集めた。現在は、浦添市北谷町などで4店舗を展開している。

 縦型の看板は「四季」と、「STEAK HOUSE FOUR SEASONS」の日本語と英語で表記。當山さんは「あの頃は米国人客が多かったが、日本復帰も果たしたし、近いうちに県民にも親しまれるようになると思った」と振り返った。

 中の町の再開発事業に伴い、沖縄市園田に移転したのは2005年。看板の移転費用は150万円に上ったが、「四季の原点」だからと設置し、お店を照らし続けてきた。

 社長を継ぐ長男の恵史さん(53)は「復帰50周年までは持ちこたえてほしかったが、地域に迷惑をかけても困るので早めに取り外すことにした」と話した。50年近く残っているネオン看板はほとんどなく、看板屋からは「もったない」と惜しまれたという。一方で、横型のネオン看板は移転後の設置のため、今も現役だ。

 同店では今年8月から、恵史さんの息子の鈴二郎さん(20)が修業を始めた。當山さんは「若い世代が、次の50年につないでほしい」と目を細めた。