沖縄ステーキ史(13)

 観光客の増加を受け、ステーキ店は2000年代に那覇市国際通りにこぞって出店していく。00年にサムズアンカーイン、02年に鉄板焼きの碧、03年にはステーキハウス88、05年はキャプテンズインと碧、08年にサムズセーラーインと続いた。

 土産品店や沖縄料理店が並ぶ観光の「一等地」。「沖縄といえばステーキ」とのイメージが定着したことで、消費意欲が旺盛で、客単価の高い観光客をうまく取り込んでいけた。観光客数の伸びは衰えることはなく、10年代に入ると、ステーキ店はリゾート地にも繰り出していく。

■もっと日常的に

 そういった時代の流れに逆らうように、地元客に目を付けて創業したのがジャンボステーキハンズだった。国際通りから外れた一銀通りの、むしろオフィス街に近い一角に久茂地店を07年に開いた。

 創業した仲本勝彦会長(65)は「沖縄ステーキは、沖縄に根付いた食文化。県民がもっと日常的に食べられるようにしたかった」と説明する。

 仲本会長は、当時の会社員のランチは弁当で500円以内、外食で600円前後だったとし、「千円のステーキなら毎日とはいかなくても、1カ月に1回くらいは定期的に食べるようになる」と予想。...