大注目の沖縄アーティストを沖縄カルチャーの広告塔 幸田悟がインタビューで深掘りする連載企画「幸田悟の沖縄音楽旅行+プラス」第10弾!! 今回は、ジャアバーボンズへのスペシャル・インタビューをお届けします!!

 

2013年4月沖縄から高知県に移住し6年、2019年4月に満を持して関東へ移住! ジャアバーボンズとなって10周年を迎える彼らが、10周年記念アルバム 『ジャアニバーサリー』をリリースした。メンバーの温もりを感じることのできるこの作品や、ジャアバーボンズのこれまでやこれからの活動についてじっくり話を聞いた。10 年間の思いをギュッと詰め込んだ、LOVE のカロリー高めのスペシャル・インタビュー、とくとご覧あれ!!

──ジャアバーボンズとなって10周年、おめでとうございます! 10年間の最高な思い出、それぞれ挙げていただけますか?

TAKANO あっという間の10年ですね。最高な思い出といえば「中四国ホール・コンサートツアー」や「金ちゃんねぎラーメンのCM撮影」などいろいろありますが、やっぱりファンクラブで宮古島に行って居酒屋ライブしたり観光したりしたことですね。

KO-G 高知に移住1年目の初ホール・ワンマンライブです。全国のファンのみんなが集まってくれました。そのときのステージからの光景はいまでも忘れません。メンバーみんな緊張してましたが、目の前のお客さんを楽しませるために一生懸命でした。ライブ中も胸がいっぱいで泣きそうになりました。ほんと最高な思い出です!!

志門 ホールでのライブの成功に向かって、みんなで作りあげていく段階で、「縁」が繋がり、たくさんの人と出会えたことです。移住して米作りするなんて想像もできなかったですが、それが「縁」を育み、曲作りや活動の基礎となりました。すべてのご縁がいまに生かされてます。

大湾 ありがたいことにファンの方からたくさんお手紙をいただいてます。内容は病を患っていること、家庭環境のことなど悩みの相談的なものも多いですね。その悩みやモヤモヤが、僕らの音楽やライブを見たことで「元気をもらって前向きになれた」という反響をいただいたときは心底嬉しいですね。ファンみんながライブで笑顔になっているとき、それが最高な瞬間です。

YASU 高知に移住して初めてのホール・ライブ。いろんなプレッシャーがあったんですが、応援してくれてるみんなの笑顔が見えて、終えた瞬間はホッとして自然に涙が出たのを覚えています。

──2013年4月沖縄から高知県に移住し6年、2019年4月に満を持して関東へ移住、東京を拠点に精力的にライブを重ねているなかでのコロナ禍……。もどかしい部分もあったのでは?

大湾 東京に住んで人脈作りをして、ストリートやライブハウス、ショッピングセンターなどいろんな所でライブさせてもらいました。そこでのご縁から大きなイベントやメディア出演なども決まってきていたんですが……。そんな最中のコロナ禍、正直辛かったです。でも活動を止めるわけにはいかなかったので、新たな挑戦で配信リリースや配信ライブをしました。そこで得たものもたくさんあったので、コロナ禍が終わった時に良い経験だと言えるようにしたいです。

──そんな状況下でも延期を重ねて、なんとか2020年11月15日に開催した「東京初ホール・ワンマン!! ハイサイ! わったーチャレンジャア!!!!!」のライブ、配信も含め素晴らしいライブでした

TAKANO 開催できるかどうかわからないなか、最高なステージを作るため、本気で一緒に動いてくれているスタッフのみなさんに胸が熱くなりました。もどかしい状況下のファンのみんなに伝わるよう、感謝の気持ちを込めて歌いました。

YASU さぁここからだ! と、まさにそんな時期にコロナ禍になり、どんな活動が正解なのか自分たちも試行錯誤でした。目標とする東京初ホール・ワンマンがあったのは前へ進む力になったので良かったです。まだまだお客さんホール・ワンマンなど、さまざまな規制があるなかでしたが、ライブで直接拍手をもらったり、反応をいただいて改めてライブっていいなと思いました。コロナ禍だからこそ全国から配信を通して僕らのライブを見ていただける環境に出来たのは、プラスなこととして捉えたいです。

──さらに昨年は、10月に2曲、そして2021年5月からの連続配信で、合計7曲をリリースし続けました

大湾 コロナ禍で思うように動けないけれど、メンバーそれぞれ、今だから作れるそんな曲がありました。それを形にして会えなくなったファンのみんなへ新曲を届けたいと思いました。

KO-G 連続配信リリースでのスケジュールは結構大変でした。1曲できあがっても一息つくことなく次に進む感じだったので。今回の配信楽曲はすべて「推し曲」として作ってます。