旧那覇市(沖縄県)を中心に、米軍が南西諸島を無差別で爆撃した1944年の「10・10空襲」から10日で77年となった。那覇市の霜鳥美也子さん(62)は、20年以上にわたり10・10空襲をテーマにしたイベントを開き続けている。「悲惨な沖縄戦の幕開けとなった10・10空襲を風化させてはいけない」。20年前に発刊した証言集の第2弾を編むことにも意欲を見せる。(社会部・大城志織)

空襲体験を語った儀間節子さん(右から2人目)を囲む「十・十空襲を風化させない市民の集い」を立ちあげた霜鳥美也子さん(同3人目)とメンバーら=3日、那覇市のアルテ崎山

 「忘れもしません。10月10日の早朝、上空に戦闘機が編隊を組んで飛んできました。友軍が演習を始めたと思い見上げていたら、パラパラドカンと空爆が始まりました」-。3日午後、霜鳥さんが店長を務める那覇市首里崎山町のライブ喫茶室「アルテ崎山」では、10日に開くイベントのため、体験者による証言を撮影した。

 語ったのは、当時は那覇市久茂地在住で、7歳で空襲に遭った儀間節子さん(84)。3歳下の妹と、旧美里村泡瀬から来ていた祖父と3人で必死に識名方面に逃げた。道中、近くに落ちた爆弾の爆風で墓石に頭を強く打ち、脳振とうを起こした。一夜明けて自宅に戻ると周辺は焼け野原。家は焼けていた。母は戦前に病死、父は出征しており、空襲後は泡瀬で祖父母と暮らしたことなど、沖縄戦の体験を含め語った。

 霜鳥さんが10・10空襲に関心を強く持ったのは、1998年の祝日法の改正がきっかけ。那覇市政50周年と10・10空襲からの復興と平和への願いを込め始まった那覇大綱挽が「10月10日には重ならないようになる。忘れ去られてしまうのでは」と懸念。同年、「十・十空襲を風化させない市民の集い」を結成し、体験者が減る中、毎年同日に平和を考えるイベントを開催し、伝えてきた。

 また、2001年には約20人の証言を集め体験集を発刊した。ただ、当時は家族の反対で原稿を取り下げた体験者もおり、「あの時は書けなかった思いを今だからこそ書ける人もいるのでは。平和のために証言を残すことが大切だという理解も進んできている。ぜひ新たに作りたい」と証言の提供を呼び掛けている。

 10日は午後3時からアルテ崎山で儀間さんの映像などを通じ、考える。問い合わせはアルテ崎山、電話098(884)7522。