沖縄県那覇市の上原トシ子さん(80)は1944年の10・10空襲当時、那覇市の天久集落に住んでいた。わずか3歳だったが、迫り来る戦禍の恐怖は幼い心に深く残った。

10・10空襲の体験を振り返り平和を訴える上原トシ子さん=9月17日、沖縄タイムス社

 10・10空襲の朝、上原さんは弟と遊んでいた。空襲が始まり、家族で屋敷内の壕から集落内の墓に向かった。逃げる人でいっぱいで、みんなが慌てふためく様子が怖くて、母親の手をしっかりと握ったのを覚えている。幸い自宅は焼けなかった。が、その後は空襲警報が鳴ると近くの戦車壕への避難を繰り返したという。翌年3月、家族や親戚とやんばるへ避難し、その後に米軍の捕虜に。父は戦死し、弟は戦後、収容所で栄養失調で亡くなった。

 戦後、小学校に入学するまでは、母がそばにいないと不安で泣きわめいていた。今思うと「戦争のトラウマもあった」と感じる。女手一つで上原さんや2人の兄を育て上げた母。日々の生活に追われ、10・10空襲の体験を母と話すことはなかったが、どんなにつらいときでも「母を困らせてはいけない」と強く思った。

 上原さんにとって、10月10日は「恐怖の沖縄戦の始まりの日」。真っ黒な煙や熱風を感じた時の恐怖感は今でも覚えている。「10・10空襲を沖縄戦を語る一つとして多くの人に知ってほしい」と願った。