報道の舞台裏 秋の新聞週間](5) 東京五輪・パラリンピック

東京五輪の閉会式が行われた国立競技場から打ち上げられたフィナーレの花火を路上で見上げる大勢の人たち=8月8日夜

 「新型コロナの感染拡大を助長した」「手のひら返しだ」-。そんなコメントをインターネットやSNSで見るたび、なんとも言えない思いになった。東京五輪やパラリンピックで日本代表選手の活躍を取り上げるメディアに対し向けられたもの。2019年4月から、担当記者として運動部の私が書き続けたことでもある。

 4年に一度の祭典は、開催を巡る不祥事も相次ぎ、「異例」という言葉では片付けられないことが数え切れないほど起きた。最も批判を集めたのは、新型コロナウイルスの世界的大流行の中で開催が押し進められたことだ。収束の糸口が見えず、政府や組織委、国際オリンピック委員会(IOC)などは中止を求める声が大多数を占めた世論には耳を貸さず、開催を強調し続けた。

 私自身、先の見えない状況に振り回された。予定していた連載企画は1年延期となった末に頓挫。選手と顔を合わせることもできなくなった。開催されるとは思えないものの、それでも取材準備は進めなければならず、身が入らない。「(五輪)本当にあるの?」と聞かれても、中央とのパイプもないので分からない。「逆に教えてくれ」との思いでいっぱいだった。

 複雑な胸中は選手や関係者も同じだった。ある選手は、中止を求める意見や医療従事者に思いを巡らせ「今も苦しんでいる人がいる。私たちアスリートだけ特別扱いは許されない」と苦しそうに語った。県内の指導者からは「五輪は本当にあるのかな、何か情報入ってないですか?」と不安げに聞かれた。先が見えない中、葛藤を抱えながらみんなが戦っていた。

 メディアが新型コロナ感染拡大の一端を担ったのか。「完全に否定することはできない」との思いはある。それでも運動部の記者として、自国開催の東京五輪に懸けた選手を追い掛けてきた一人として、彼ら彼女らの活躍を伝えたことに後悔はしていない。

 五輪期間中、歓声のない無観客の会場で懸命にプレーする選手たちを追った。うれし涙も、悔し涙も何度も見た。日本、そして沖縄の代表として世界と戦う選手の姿を伝えることは、沖縄の地方紙として一つの使命だったと考える。

 「開催してよかったのか」。自問自答は続いている。ただ、人生を懸けて想像以上の努力を重ね、ようやく立てた夢の舞台で全力を尽くし戦った選手たちを「よく頑張った」「お疲れさま」とねぎらえる社会であってほしい。(運動部・我喜屋あかね)=連載おわり

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