大注目の沖縄アーティストを沖縄カルチャーの広告塔 幸田悟がインタビューで深掘りする連載企画「幸田悟の沖縄音楽旅行+プラス」第11弾!! 今回は、シンガー・ソングライター石川清貴へのスペシャル・インタビューをお届けします!!

 

2000年代初頭、「優しい時間」、「SUNSHINE」などの楽曲で人気を博し、その甘い歌声で沖縄のポップスシーンをリードしたシンガー・ソングライター石川清貴。これまでに3枚のアルバムをリリースしたほか、あんしん、沖縄伊藤園、沖縄電力など数多くのCMソングを担当している。県内外の注目を集めるなか、2013年に拠点を東京に移し、作曲家、アレンジャーとして活動、音楽の表舞台から忽然と姿を消した。そんな彼が2021年8月、作詞作曲歌唱を担当した配信シングル「Neverending Love」を突然発表。センスあふれるメロディーライン、深みを増した歌詞、そして表現豊かな歌唱技術と甘い歌声……。平成のラブソング王子は令和のバラード・キングとして帰ってきた。 石川清貴の現在に迫るスペシャル・インタビュー。コロナ禍だからこそ大切にしたいことが見えてくる。

──あんしんプレゼンツ コンピレーション・アルバム『Four Stories 4 you』に楽曲「all friends are my pride」で参加し、同年アメリカのマサチューセッツ州ボストン市にあるバークリー音楽大学へ留学。在学中にシングル「LOVE SONG」をリリースし即完売と、鮮烈なデビューを飾りました。さらに2006年には、ファースト・アルバム『Dear Life』をリリースし、県内多数のCDショップでセールス・ランキング1位を獲得するなど、順調な音楽生活のスタートでした。音楽を始めたキッカケ、嗜好していた音楽、バークリー音楽大学での学びの経験、担当したCMソングなどについて教えてください

石川清貴 子供の頃からピアノを、中学時代は吹奏楽部でフルート、高校時代は歌とダンスと常に僕の隣には音楽がありました。

 バークリー大学では音楽理論、さまざまなジャンルのボーカル・トレーニングなどを学びました。いろんな国からの留学生が多く集まる大学だったので、音楽だけでなく文化にも触れることができ、音楽の幅も広がったように思います。

 帰国後にファースト・アルバムの制作期間に入るのですが、僕は歌詞に対して苦手意識があって、自分自身の語彙力の無さに悩んだ時期でもありました。このころからキチンと本を読んだりするようになりました。

 いままでは、読んでいるようで読んでなかったんですよね。本当の意味での「読み」。言葉に込められた思いや意味、その背景、行間を読む、そういうことがこの時期までできていなかった。だから伝えたいことがメロディーに乗らない。少し苦しかったような気がします。

 それでもたくさんの方の協力もあり、ファースト・アルバム『Dear Life』を無事にリリースできて、ライブもいろんな場所でやらせてもらいました。当時、一つひとつの経験が勉強でした。

──2008年には、スキルアップのため県外へ。スタジオ・ワークを通じて自身の音楽に磨きをかけ、2010年には約4年ぶりとなるアルバム『UPDATE』を、2012年にはサード・アルバム『PLUG IN』をリリース。サウンドの幅も広がり、数多くのCMタイアップも順調に獲得していきます。人気絶頂のなかの県外修行、躊躇する部分はありませんでしたか?

石川 環境をガラッと変えて音楽制作をしてみたかったんです。このままじゃいけないなという気がしていて……。

 「優しい時間」のときに一緒に制作させてもらった大阪のスタジオに、頼み込んで、作詞作曲やトラック制作の勉強しながら、レコーディングをさせてもらいました。このスタジオの方が、本当に傷つくほどズバズバ言うんです(笑)。愛あるダメ出し(笑)。

 でもこの経験がすごく良かった。作って、持っていって、歌って、ダメ出しされて、返される……。まさに破壊と創造の連続(笑)。100にひとつくらい「あれ、これいいね」みたいに言われることがあるんです。僕的にはそれが何かよくわからないまま、とりあえず持ち帰ってまた砕き直して……。

 当時そこのスタジオには、僕と同じように制作しているアーティストの方々もいて、さまざまな出会いがあり、大きな宝ものになっています。大阪での経験が、沖縄に戻ってリリースしたセカンド・アルバム『UPDATE』に大きく影響しています。

 サード・アルバムの『PLUG IN』は、打ち込みメインの前作に対して、サウンド面でもう少し生音にこだわった作品にしたかったので、新たな制作チームで取り組みました。