中学の時、授業中にガムをかんでいる友人に教師がいきなりビンタした。教室内の空気が一瞬、止まった。友人はガムを出して謝ったが、クラスの誰もがビンタは仕方ないと受け止めていた
▼今、同じ事が起きたら、教師の行為は体罰だと批判されるだろう。なぜ口頭で注意しなかったのだ、と。が、その時は大人がいても恐らく体罰だと思わなかった。時代と共に意識も変わった
▼いじめの場合もそうなのだろう。これまでは、じゃれ合い、悪ふざけ、軽い冗談、などとされていたものが「いじめ」に分類されるようになっている
▼那覇市内の小学校でいじめの2016年度認知件数が、前年度の13倍超と急増している。15年の文科省通知を受け、各学校が毎月のアンケートを基に「ささいな事でも報告」したのが背景にある
▼小さないじめを把握し、摘み取ることには賛成だ。だが細かく調査する一方、中部では、中学生による暴行動画のネット流出や臨時教諭の生徒への体罰事案で、学校や教委の対応の遅れが指摘された。ちぐはぐ感は否めない
▼いじめについて文科省は「いじめに当たるか否かの判断は、いじめられた児童生徒の立場に立って行う」とする。いじめられた側が苦痛を感じれば即、いじめとなる。取り返しのつかない事態を招く前に、実効性ある取り組みが必要だ。(玉寄興也)