沖縄県読谷村で学び育った鈴木颯也(そうや)さん(18)が10月、英国に旅立ち、世界大学ランキング一位のオックスフォード大学で学生生活をスタートしている。米ブラウン大や東京大、九州大など国内外の難関大学にも合格した颯也さん。夏に初めて取材することになったとき、記者は思った。

 「きっとお金持ちで教育熱心な家庭で育ったんだろうなぁ…」

 結果は少し違っていた。不登校になったこともあるし、奨学金の一つは低所得層向け。平日、部活が終わって帰宅後の勉強は多くて3時間。とても裕福な家庭では無く、寝る間を惜しんで勉強したわけでもないそうだ。

 颯也さんはどんな歳で、どんな勉強をして、両親はどう子育てしてきたのか。あらためて聞いてみた。

■小学校では一時不登校にも

 颯也さんは2003年、米テネシー州に生まれた。父の東元(とうげん)さん(51)が米国で数学の大学講師をしていたためだ。

 東元さんは岐阜県出身で、高校卒業後、単身渡米し語学学校に通った。「どちらかといえば、自分は受験戦争に敗れた側かも」と笑う。語学学校で英語を習得し、米国の大学、大学院で数学や統計学などを学んだ。

 特に、商品のマーケティングなどに活用される統計学は「数学が生活の中で活用されていると身近に感じられ、とても面白い学びだった」と目を輝かせた。

 その後母の美佳さん(53)と結婚し、娘3人と颯也さんを育ててきた。

 颯也さんが6歳の時に、仕事の都合で家族で石川県へ。颯也さんは初めて日本の小学校に通ったが、ほどなく不登校になった。

 言葉の壁も多少ありつつ友達もできたが「先生がとにかく怖くて…」と苦笑する颯也さん。美佳さんは「すごく昭和時代のままの先生で、確か、クラス全体に向かってばかとか怒鳴りつけたりした。颯也はびっくりして目に涙いっぱいためて帰ってきたよね」と振り返る。

 当時、営業職をしていた東元さんは颯也さんを近くで見守れるよう、一緒に学校に通えるインターナショナルスクール教師の仕事を探し、沖縄で発見。県内のインターナショナルスクールに勤めるため、石川県にきてわずか半年後、沖縄県読谷村に移り住んだ。

■進学の条件は「奨学金」

 再び学校に通い出した颯也さん。東元さんは「颯也や家族と過ごす時間が長く取れて、すごく良かった」と笑顔で振り返る。ただ、給料は少なめだったようで、両親そろって「この頃から進学するなら奨学金ないと、うちは無理だよ」「もしくは働きながら自分で学費稼ぐこと」と颯也さんに言い聞かせていたという。

 颯也さんは「本当にちゃんと勉強しないと大学行けないんだな、と分かったのは良いモチベーションになった」と笑う。

 実際に成績が認められ、米国の低所得層向け奨学金を獲得。米国の大学入試受験料が免除された。このほか、学費や生活費が支援される柳井正財団の給付型奨学金を受けている。

■子どもの興味関心を尊重 選択肢を用意

 姉たちも米国で進学していたため、物心ついた時から自然と「米国の大学に進学する」と決めていた颯也さんだが、将来の夢はさまざまだった。両親も「特定の何かになれとは言った記憶がない」という。

 その代わり、颯也さんが今好きなことを聞くようにしていた。

 「運動が好きだな」

 「へーそうなの。選手の近くでサポートできる、スポーツ医って仕事もあるよ」

 「建築もちょっと興味ある」

 「いいね、イタリアとか行って建築物見てきてみたら。建築士だったら資格取らなきゃだよ」

 颯也さんが興味を示した分野に、どんな仕事があるか、就職するにはどんな資格が必要なのか、調べて伝えるようにしていたそうだ。

 東元さんは「選択肢や情報をたくさん用意して、選ぶのは本人。颯也は好きなことには、のめり込む反面、やりたくないことはやらないから、こっちが何言っても仕方ない」と笑いながら話した。母の美佳さんも「のびのび楽しくやってくれる姿を見るのはうれしい」とうなずいた。

 颯也さんは「自由でありがたかった」と改めて両親に感謝した。

 昔から自然な環境で遊ぶことも好きだった颯也さん。受験勉強を始めて特に面白かった「環境学」に興味の的が絞られた。雨が降る仕組みなど「地球がどう動いているのかのメカニズムを知るのが楽しかった」という。

 オックスフォード大ではアースサイエンス学部で、地球科学を学び、将来は地球温暖化対策を企業と考える環境コンサルティングなどに興味を持っている。

■米英の入試ってどんな感じ?

 受験勉強はどうしていたのだろうか。

 元々、米国での進学を希望していたため、...