日米両政府による「沖縄に関する特別行動委員会」(SACO)最終報告から、きょうで25年となる。

 米兵による暴行事件をきっかけに、「沖縄の負担軽減」を掲げて設置された委員会は、米軍普天間飛行場をはじめとする県内11施設の返還、騒音の軽減、地位協定の運用改善などを決めた。

 だが決まった返還の大半は県内移設が条件だった。あれから四半世紀、県民はいまだに負担軽減を実感することができないでいる。それどころか県内移設により負担が将来にわたって続く不安さえ強めている。

 政府がSACOの成果だと強調するのは北部訓練場の過半返還(約4千ヘクタール)だ。しかしその見方は一面的である。

 返還区域にあるヘリパッドの移設を条件としたため、東村高江の集落を取り囲むように新たに六つのヘリパッドが造られた。さらに上陸訓練のため宇嘉川河口部の陸域と水域も追加提供された。

 米海兵隊は「戦略展望」で「使えない土地を返す代わりに、利用可能な訓練場を新たに開発した」と報告する。負担軽減が目的だったはずなのに機能強化が図られたのだ。

 伊江島補助飛行場への移転が決まったパラシュート降下訓練を巡っても、米軍は「例外」との名目で嘉手納基地で訓練を強行し続けている。地元住民の安全より、米軍の訓練を優先しているのだ。SACO報告の形骸化である。

 地位協定の運用改善についても、その限界はさまざまな場面で明らかになっている。

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 この年の4月、「5~7年以内の全面返還」で合意した普天間飛行場に関して、最終報告は「撤去可能な海上施設」を代替施設と明記した。

 海上施設はその後、海を埋め立てる巨大な新基地計画に代わり、迷走する。

 返還の目的は、米国防長官が驚きをもって「世界一危険な米軍施設」と言った普天間の危険性除去だった。優先度の高い課題だからこそ返還に合意したのである。

 当初の「5~7年」ならまだしも、軟弱地盤の改良などで今後少なくとも十数年かかるというのは、目的が果たせなかったことを示すものだ。さらに十数年も我慢せよというのは政策としてあってはならない。

 沖縄防衛局が申請していた軟弱地盤改良のための設計変更を玉城デニー知事が不承認としたことで、国は行政不服審査請求で対抗する構えを見せるが、とんでもない話である。

 憲法が保障する自治権の破壊であり、到底許されない。

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 SACO最終報告や新基地建設の最大の問題は、安全保障や基地を巡る国家レベルの重要課題が、本土では沖縄問題としてしか認識されていないことにある。

 この構図は今に始まったことではない。

 だが困難ではあっても、辺野古をはじめとする基地問題を県外の多くの人に訴え、議論を喚起していくことで変えていかなければならない。

 来年の復帰50年は、この構図そのものを問い直す機会である。