四肢まひの重度の障がいがあり、2007年4月に17歳で亡くなった大城ちなみさんの母逸子さん(63)は、ちなみさんの誕生日の12月1日に、年齢と同じ重さの米を沖縄県の南風原(はえばる)町社会福祉協議会に寄付してきた。今年は32キロ。14年間で357キロになった。「助けて」と声を上げた時に助けてくれる人がいた。次は少しでも自分が助けになりたい-。逸子さんはそう思い続けている。(編集委員・福元大輔)

孫のあんりちゃんを抱き、米32キロを南風原町社協の前川義美会長(右)に手渡す大城逸子さん=1日、同社協

修学旅行で、友達との時間を楽しむ大城ちなみさん(中央)=2004年2月、熊本県

孫のあんりちゃんを抱き、米32キロを南風原町社協の前川義美会長(右)に手渡す大城逸子さん=1日、同社協 修学旅行で、友達との時間を楽しむ大城ちなみさん(中央)=2004年2月、熊本県

■助けてくれる場所があった

 ちなみさんは生後4カ月で髄膜炎を患い、後遺症となった。歩くことも話すこともできず、生活の全てで介助が必要だった。

 当時は3歳になるまで障がい児保育を受けることができなかった。逸子さんは町に働き掛け、ちなみさんが2歳の時、障がい児親子通園施設「ゆうな園」の開所にこぎ着けた。一室を提供したのが、社協だった。

 「地域の人たちに、ちなみのことを知ってもらいたい」と考えた逸子さんは養護学校ではなく、地域の翔南小、南星中へちなみさんを通わせた。プールの授業などで介助員を出したのも社協だった。

 逸子さんは「道を開きたいと駆け回った17年間。困ったときに夫や家族、社協だけではなく、助けてくれる人がいて、助けてくれる場所があった」と感謝する。

■娘の人生と同じ17年間は続けたい

 米を贈るのには理由がある。ちなみさんは、おかゆを食べることもあったが、うまく飲み込めず、誤嚥(ごえん)性肺炎になる恐れがあり、チューブから栄養を流し込んでいた。食べたくても食べられなかった米。逸子さんはちなみさんの成長を腕にずっしりと感じながら、毎年社協に米を運び込んでいる。

 今年は次男の智也さん(35)と妻まりやさん(31)、1月に生まれた孫のあんりちゃんも一緒。夫妻は昨年12月1日のちなみさんの誕生日に結婚した。

 米は困窮世帯への配布や子ども食堂で使用するという。社協の前川義美会長は「逸子さんの気持ちもしっかり届けたい」。逸子さんは「32キロと言ってもまだ私の体重の半分くらい。ちなみの人生と同じ17年間は続けたい」と話した。