日米開戦のきっかけとなった1941年の旧日本軍による真珠湾(米ハワイオアフ島)攻撃から、8日(日本時間)で80年を迎えた。当時13歳でハワイに住んでいた、県系2世のシゲル・カネシロ(金城)さん(93)=ハワイ州ホノルル在=は、カネオヘ基地方面に向かう日本軍の戦闘機を目撃した。この攻撃でハワイでは軍関係者や一般人約2400人の命が失われ、日系人は敵性外国人とみなされた。カネシロさんたち県系人にも戒厳令下で、差別の空気が忍び寄ってきた。(社会部・大城志織)

リモート取材に応じ、真珠湾攻撃の当時を振り返るシゲル・カネシロさん(左)、息子のノーマン・カネシロさん=11月29日(日本時間)、米ハワイ州

■日本軍と分からず

 カネシロさんは本部町崎本部出身の両親の間に、ハワイで生まれた県系2世。真珠湾攻撃が起きた時はワイアホレの中学校に通っていた。

 現地時間の12月7日朝、「ハキプウ」という村の畑にいた。「飛行機が見えた。ただ、日本のものだとは分からなかった」。恐怖心があったかは記憶にない。飛行機が山を越えてカネオヘに向かった直後、真珠湾の方から黒い煙が上がるのが見えたが「何が起きたか全く分からなかった」。ラジオのニュースで日本軍が攻撃したと知った。

 真珠湾攻撃以降、日系人は米国で敵性外国人とみなされ、次々に収容所へ送られた。ハワイでは戒厳令が敷かれ、県系人も一部が収容された。

■日系人は収容所へ

 カネシロさんの周囲では「学歴の高い人や、日本国籍を持っている人は収容所に行かされる。パーティーなどの集まりがあれば、日本人かどうかチェックされる」とささやかれた。

 真珠湾攻撃は太平洋戦争の引き金を引いた。45年に米軍は沖縄に上陸し、日本で唯一、住民を巻き込んだ大規模な地上戦が繰り広げられ、県民を含む約20万人が犠牲になった。

 カネシロさんは「何百年も前から人間は戦ってきた。戦火を生き延びたのはありがたいが、自分たちではどうすることもできないと思っていた」。なすすべがなかった心境を振り返る。

■何よりひどい戦争

 日米開戦から80年。戦争体験者が高齢となる中で「戦争は何よりひどい。二度と見たくない。平和が続いたら幸いだ」と恒久平和を願った。

 息子のノーマンさん(46)は99年、沖縄の伝統文化や芸能の継承活動をする「御冠船歌舞団」をハワイで立ち上げ、共同代表として活動を続けている。

 県系3世として「ウチナーンチュだけでなく、米兵や日本兵も含めて何のために命を失ったのか考えていくことが重要だ」と感じている。「平和を学び、戦争の激しさを学ぶことを忘れてはいけない」。父が見たあの日の光景も、語り継いでいく。

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