来年の3月に期限を迎える沖縄振興計画について、様々な議論が進んでいるが、その基本的な考え方は、大きなハンディを持つ沖縄県に対して日本政府が援助する、という発想があると思う。その考え方は、もちろん間違っていないし、困っている人が目の前にいるときに、手を差し伸べるのは、人間として真っ当なことだろう。

沖縄県内

 しかしながら、沖縄大学の10年間で私が学んだことは、人を本当に助けるためには、「人が自分自身を助ける、その手助け」をしなければならない、ということだ。

 そんな視点で、沖縄の将来を考えてみると、どうしても避けて通れない課題が、「私たちの手で価値を生み出す」ということではないかと思う。

付加価値は常にゼロから生まれる

 私がホテルを経営していたときに、何度も考えたことがある。なぜ顧客は、このホテルに泊まってお金を払ってくださるのだろう? 西海岸に面した美しいビーチ、優しいおもてなし、手ごろな価格などなど・・・表面上の理由は列挙できるのだが、顧客がリゾートの決して安くない料金を支払ってくださるそのほんとうの理由は? と聞かれると、実のところ、私にはっきりとした答えはなかったからだ。ホテルが提供しているほんとうの付加価値とはなんだろう? 私はこの問いに対してしっかり腑に落ちるような、納得感のある答えを得たかった。

 多くの経営者は、100のものを110にすることが付加価値の創造だと思っている。この視点で経営を行うと、事業で重要なものは「100」の元手に相当するもの、すなわち、資本金、立地、営業店舗、既存の顧客、在庫などの経営資源である。これらの経営資源の多寡が事業の成否を決めるという考え方になりがちだ。元手がなければ事業ができないと考えるから、いかにお金を調達しようか、補助金を獲得しようか、組織を固めようか、在庫を仕入れようか、営業網を拡大しようか、ということが重要になる。ところが、経営資源の豊富さという意味においては、沖縄に進出してくる本土企業の方が、沖縄の地元企業を凌駕することが多いから、この発想で沖縄の将来を考えると、攻めてくる強大な相手を戦々恐々と迎え撃つ、受け身の発想になって、なんだか気持ちも暗くなってしまう。

 しかし、別の発想もあると思うのだ。私がたどり着いた一つの答えは、付加価値は常にゼロから生まれるということだった。つまり、100が110になるように見える取引は、実のところ、二つの要素が合成されたものかもしれない、という思いつきである。100の在庫が100にスライドする現象と、0から10が生まれる付加価値、この二つが合成されたものではないか。この視点では、100 の在庫をもっているかどうかよりも、0から何をするかの方が重要になる。

 モノやお金があろうとなかろうと、ゼロから生み出すものが付加価値の本質であるならば、資源やお金やその他の事業インフラは必要条件ではなくなる。資源やお金が邪魔になることすらある。

 経営学の父と呼ばれ、多くの人たちに尊敬されているピーター・ドラッカーは、名著『イノベーションと企業家精神』の中で次のように語っている。

「人が利用の方法を見つけ経済的な価値を与えない限り、何ものも資源とはなりえない。」

 資源がイノベーションの源泉なのではなく、イノベーションが資源を創造するのだという。

 「原油が「資源」となったのは、人がその価値を見出したからで、それまでは、土壌の中の厄介者に過ぎなかった。ペニシリンが資源になるまでは、研究者の実験に邪魔なカビだった。19世紀の初めに、サイラス・マコーミックが考えついた割賦販売によって、購買力という資源が生まれた。トラックの荷台を切り離して貨物船に載せるコンテナというアイディアは、世界の貿易を激変させた。17世紀半ば、ヨハン・アモス・コメニウスによる教科書の発明によって、世界中の初等教育が革命を起こした。」

 イノベーションの本質は、新製品を生み出すことにはない。顧客がまだ気づいてすらいないニーズを発見して、それを満たすことである。その結果として消費者の行動が変わり、社会が変わる。これらのイノベーションの事例に共通することは、すべてゼロから、視点の転換によって価値が生まれているということだ。イノベーションの本質は、新たな視点を見つけることにある。

ゼロから価値を生み出す

 人間は、見たいものを見るようにできている。私たちが新しい視点で沖縄社会の将来を見直すとき、今まで私たちが気がつかなかった付加価値に気づく可能性が生まれる。0から生まれる価値とはなんだろう? それは、多くの人が考えるほど難しいことでも、特別なことでもない。

 アメリカ、スタンフォード大学の起業家の授業に、そのヒントがある。シリコンバレーといえばスタンフォード大学、スタンフォード大学といえば、起業家のコース、そのコースを教える名物教授がティナ・シーリグだ。NHKが「スタンフォード白熱教室」として取り上げて、日本でも広く知られるようになった。彼女の著書『20歳のときに知っておきたかったこと』で、彼女が学生たちに提示した興味深い課題の話が紹介されていた。