汚れないようラップで包んでくれていた封筒を、仲本萌さん(36)はゆっくりと開けた。沖縄看護専門学校の実習生だった約15年前、病室で出会った山城喜美さん(享年67)が亡くなった直後に書いた手紙だ。喜美さんの誕生日12月23日を前に、夫の賢栄さん(83)=宜野湾市=が手紙の主を探していると本紙で知り、自宅を訪ねた。A4の便箋いっぱいにつづった文字を読み返すと、喜美さんとの思い出があふれてくる。「優しさの塊みたいな方でした。今日まで忘れたことはないです」。時を忘れ、賢栄さんと泣き笑いした。(中部報道部・平島夏実)

山城賢栄さん(左)と約15年ぶりに再会し、自身が書いた手紙を読み直す仲本萌さん=12日、宜野湾市大謝名の山城さん宅

山城賢栄さんが仲本萌さんに会いたがっていることを報じた2021年12月3日付の沖縄タイムス

山城賢栄さん(左)と約15年ぶりに再会し、自身が書いた手紙を読み直す仲本萌さん=12日、宜野湾市大謝名の山城さん宅 山城賢栄さんが仲本萌さんに会いたがっていることを報じた2021年12月3日付の沖縄タイムス

告別式の会場に届けられた手紙

 「ご家族の皆様へ」。手紙は当時、告別式の会場に届けた。今はアドベンチストメディカルセンターの緩和ケア相談室長。末期がん患者などの家族と日々接している。

 賢栄さんが「うちのやつが孫のようにかわいがっていた萌ちゃん」に会いたがっていると、3日付の本紙で知った。12日の昼下がり、花かごとお菓子を持って賢栄さん宅を訪ねて名乗り出た。

 「学生のころに喜美さんとご家族に出会って、今があります」。ハンカチで何度も目元をぬぐいながら3時間以上、言葉を交わした。

 「失礼とは思うんだが萌さん、名字は変わってないの? …例えば山城とかに」。賢栄さんが迷いながら聞けば、仲本さんは「探してもらいやすいように名字をそのままにしていたんでしょ、と周りに笑われました」

◇「萌ちゃんのためならエンヤコラ」

 約15年前の手紙に書き損じが全くないことを賢栄さんが褒めると、仲本さんは「ボツがたくさんあったはずです。手紙を書くなんて私一人では気が回らない。学校の先生に相談したんだと思います」。

 仲本さんの祖母が喜美さんと同じリウマチを患っていたこと。喜美さんが車いすに乗ったままでも外を見られるよう、自宅に張り出し窓を造ったこと。賢栄さんの長女の栄子さん(45)も同席し、喜美さんが大好きだったケーキを囲んで報告し合った。

 「『萌ちゃんのためならエンヤコラ』と『ヨイトマケの唄』の替え歌までして下さったんです。恥ずかしくて手紙に書けなかったですけど」と仲本さん。再会がかなったこの日は、36歳の誕生日を迎えた翌日。看護師としてくじけそうになると、あの時の応援歌が頭に流れるという。

 「今日、喜美さんに『今の道を行きなさい』って言ってもらっている気がします。幸せだなあ。これで前に進めます」。仲本さんは何度も胸元に手を当て、喜美さんの存在を確かめた。