太平洋戦争開戦から80年の今年、戦禍を生き、敗戦後の日本社会と向き合い平和を求め続けた人たちが、逝った。

 「日本のいちばん長い日」などで知られ、日本近現代史の「歴史探偵」を自認した作家の半藤一利さんは14歳の時に東京大空襲に遭った。黒焦げの死体を見ても何も感じず「人が人でなくなる戦争の真の恐ろしさ」を実感した。

 最後の著作「戦争というもの」で、半藤さんは本土決戦の時間稼ぎのため防波堤とされた沖縄戦で、住民を「軍官民共生共死」のスローガンのもと苛烈を極めた戦闘に巻き込んだ指導部を批判した。

 大田実海軍司令官の「沖縄県民斯(か)く戦へり。県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを」の電文全文を紹介。辺野古の新基地建設を、県民の心を無視していると憤り「大田少将の最後の訴えは、いったいどこへいったのでしょうか」とつづっている。

 国家主義的な熱狂のもたらした惨禍を、史実に基づき検証し、憲法9条と平和の大切さを次世代に説き続けた。

 愛と人間の業を見つめた小説や、痛みや孤独を抱える人々の心に寄り添う法話で知られた作家で僧侶の瀬戸内寂聴さん。戦争への怒りを行動でも示した。2001年の米同時テロとアフガニスタン攻撃の際、犠牲者の冥福と即時停戦を祈り断食を敢行した。

 安倍晋三政権が集団的自衛権の行使容認に突き進んだ14年、「戦争をさせない1000人委員会」を立ち上げた。

 集会では、がんの療養後だったが「良い戦争はない。戦争は全て人殺しです」と車いすから立ち上がり訴え掛けた。

 二人に共通するのは、体制への不信と警戒感である。

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 核兵器廃絶と被爆者援護の活動に尽力した日本原水爆被害者団体協議会(被団協)代表委員の坪井直さん。

 広島工業専門学校3年だった通学中に被爆し、大やけどを負った。戦後は中学教師として教壇に立ち体験を語った。ヒロシマの顔として世界に、核兵器廃絶を訴え続けた。

 田中角栄元首相の金脈問題追及など、大きな足跡を残した評論家、ジャーナリストの立花隆さん。宇宙や脳死など扱うテーマが幅広く「知の巨人」として知られた。長崎生まれの立花さんは、晩年「『戦争』を語る」で、被爆や戦争のリアルな記憶を後世に残すために、日本人は何をすべきかを問い掛けた。

 記憶の継承こそが社会を狂わせない、との信念からだ。

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 明治期の自由民権運動の広がりを示す「五日市憲法草案」発見で知られ、「自分史」執筆を提唱した歴史学者の色川大吉さん。「民衆史」のジャンルを確立し、権力におもねない独自の歴史観を貫いた。たびたび来県し、沖縄の地域史に大きな影響を与えた。

 日本に余裕がなくなり、先行きの見えない生活の中で、いらだちが募る。それが、今中国へ向けられている。色川さんは「いらだちのナショナリズム」と表現し、再び戦争に近づく危険性を指摘した。

 戦後生まれが国民の85%を占める今、託された記憶と記録を引き継ぎ、平和を守る選択につなげたい。