[沖縄の生活史~語り、聞く復帰50年]第1部(2) 佐渡山豊さんに共感(中)※前編はこちら

 竹富町西表島の石田ひろみ(61)、石垣市の我謝利恵子(57)が、佐渡山豊(71)の歌に出会ったのは1970年代。日本は高度経済成長を遂げ、沖縄は日本に復帰しようという変化の中で、鬱積(うっせき)した気持ちを佐渡山に託したかったのかもしれない。(編集委員・福元大輔)

沖縄の矛盾を学ぶ手段

■我謝利恵子さん

 石垣小3年で復帰を経験した。

 「小学校の給食は脱脂粉乳とパンだけ。学校の外で、紙にバターと砂糖を包んで売るおじさんがいた。それをパンに塗って食べた。復帰したらいなくなったのが印象に残る」

 復帰から7年後の79年、中学3年で父親の実家のある糸満市で祖母と暮らすようになる。

 「島の外に出たかった。住んでみると、祖母は糸満の言葉しか話さないので全く分からず、同じ沖縄とは思えなかった。沖縄本島では石垣島よりも沖縄戦を身近に感じ、当たり前のように米軍基地や自衛隊基地があった。悪いイメージはないけど、沖縄は何だろうって意識するようになった」...