沖縄の政治は、革新が「基地」の重圧を問題にし、保守が「経済」を強調するという保革対立の構図がずっと続いてきた。

 対立軸が固定化したのは復帰前、1968年の主席選、立法院選、那覇市長選の3大選挙からである。

 沖縄の有権者は、50年の群島知事選以降、琉球政府の行政主席を選挙で選ぶことができなかった。日本国憲法が適用されない米軍統治下にあったからだ。

 主席公選は、自治権拡大運動の大きな成果であり、政治的立場を超えた悲願だった。

 革新共闘会議が推す屋良朝苗氏と政府・自民党の全面支援を受けた西銘順治氏が対決。選挙には本土の保革両陣営が党首クラスの大物政治家を次々と送り込むなど一大決戦となった。

 屋良陣営が即時復帰・基地反対を訴えたのに対し、西銘陣営は復帰時期尚早・基地容認を主張。幅広い市民団体に支えられた屋良氏がおよそ3万票差で主席公選を制した。

 今では考えられない89・11%という投票率が、関心の高さと選挙の重みを物語る。

 那覇市長選でも革新共闘の平良良松氏が圧勝し、復帰を挟んで10年、革新王国が続くことになる。復帰を巡るさまざまな混乱も革新陣営に有利に働いた。

 3大選挙で鮮明になった保革対立の構図は、一般に「68年体制」と呼ばれる。

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 78年の知事選は経済悪化への不満を背景に保守の西銘氏が勝利し、県政を奪還した。

 3期12年の知事時代、西銘氏は中央とのパイプを生かして公共事業を積極的に誘致したほか、自衛官募集業務の開始などで革新県政との違いを打ち出した。この時期、沖縄は本土との一体化、制度の本土化が進むことになる。

 米軍普天間飛行場の移設問題が浮上するのは、革新共闘が推した大田昌秀知事の時である。

 日米特別行動委員会(SACO)の最終報告から昨年で25年。沖縄は復帰50年のうち半分の歳月をこの問題に振り回されてきたことになる。しかも先は全く見えない。

 翁長雄志氏が保革の枠を超え、新しい政治勢力を結集して知事選に勝利したのは2014年のことだ。翁長氏には対立の構図に終止符を打ち「誇りある豊かさ」を実現するという問題意識があった。

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 辺野古移設問題が浮上して以降、知事選、国政選挙、名護・宜野湾両市長選であからさまになってきたのは、政府・自民党が選挙に積極的に関わり、「オール沖縄VS国」のような構図さえ生まれていることである。

 自民党系候補は「選挙戦術」と称して辺野古の是非を争点化しなくなった。

 今年は重要選挙が集中する。名護市長選をはじめ7市長選や参院選、秋には天王山の知事選が控えている。

 復帰50年の「選挙イヤー」の意味は極めて大きい。沖縄の未来を選び取るための堂々たる論戦を求めたい。