沖縄県今帰仁(なきじん)村仲宗根で68年もの間「喜屋武理容館」を営んできた喜屋武米子さん(91)が、長年の理容師人生から引退した。住宅兼店舗だった建物の老朽化が理由で、11日に建物の解体に伴う安全祈願を行った。半世紀以上、地域の人々の髪の毛を整えてきた喜屋武さんは「自分でもよく頑張ったよ」と感慨深そうに話した。(玉城学通信員)

最後の客となった上原豊哲さん(左)と理容師歴68年で終止符を打った喜屋武米子さん=11日、喜屋武理容館内

老朽化に伴い解体される喜屋武理容館と営んできた喜屋武米子さん(左)、近所の玉城薫さん=11日、今帰仁村仲宗根

琉球政府時代に取得した喜屋武米子さんの理容師免許證

最後の客となった上原豊哲さん(左)と理容師歴68年で終止符を打った喜屋武米子さん=11日、喜屋武理容館内 老朽化に伴い解体される喜屋武理容館と営んできた喜屋武米子さん(左)、近所の玉城薫さん=11日、今帰仁村仲宗根 琉球政府時代に取得した喜屋武米子さんの理容師免許證

■手に職を持つのが大切だよ

 渡喜仁出身の喜屋武さんは沖縄戦で、渡喜仁の海岸沿いにある門中墓に避難して3カ月暮らしたこともあるという。「渡喜仁は山がなく隠れる場所は墓しかなかったから。苦しかったよ。戦は哀れしかない、二度とやってはいけない」と語る。

 戦後、いとこから「手に職を持つのが大切だよ」と勧められた。親からは「女が散髪屋をやるのか」と反発されたが、猛勉強の末、学科も実地試験も1回で合格。琉球政府時代の1954年、長い理容師人生をスタートさせた。

 仲宗根にある食堂「なーは屋」の隣で開店し、その後、その向かいに現在の住宅兼店舗を構えた。店の広さはおよそ15坪。店内は客2人で満席になった。椅子や洗面台は当時の最新のものを取り付けた。

 喜屋武さんは「当時、女性の理容師は珍しく、設備も上等だったのか、理容師仲間から嫌がらせを受けた。でも仲宗根の青年たちが助けてくれたよ」と振り返る。

■子どもだった客も60代・70代に

 なじみ客も増えたが子ども客にはいつも神経を使ったという。「角刈りはバリカンだが、子どもはメーガンター(刈り上げ)が大半だった。子どもの頭に刃物(ハサミ)を入れるから集中しなければならない」と気を引き締めた。

 「なーは屋」2代目の玉城薫さん(68)は「最初に喜屋武さんに散髪してもらったのは3歳の時だった。メーガンターをしてもらったことを覚えています」と話す。

 常連客の上原豊哲さん(73)も「メーガンターに1時間。とても丁寧だった」と思い出す。安全祈願の儀式前日に「メーガンター」をしてもらい喜屋武さんの最後の客になった。上原さんは「感無量です」と目頭を熱くした。

 喜屋武さんは「“ハサミ人生”、いろいろな事がありました。小さな常連客も立派になり、これからは第2の人生を楽しみます」としみじみ。32歳で1歳年下の光義さんと結婚し2人の子宝に恵まれ、今は孫4人、ひ孫1人。喜屋武さんは「今年のうちに孫が一人増えるかも」と目を細めた。