[3万5千人の決起 第4次嘉手納爆音訴訟](1)

爆音を響かせて嘉手納基地に着陸する米軍F15戦闘機。手前は北谷町砂辺の住宅街=25日午後0時17分(下地広也撮影)

 1982年、第1次となった嘉手納爆音訴訟。北谷町砂辺では、提訴を前に公民館で頻繁に集まりが開かれた。4人の子育て中だった松田トヨさん(75)を支えてくれたのは、集会のたびに「頑張ろうね」と声掛けしてくれる高齢者たちだった。今も松田さんはその先輩たちの表情を忘れない。ようやく「日本国憲法の下で守られる」という高揚感があった。40年の時がたった。当時の原告は少なくとも半分近くが亡くなってしまった。

 松田さんは同町の謝苅出身。高校卒業後、6人きょうだいの長女として家計を助けるため現在の浦添市牧港の基地で働いていた。戦時中のベトナムへ輸送する物資の確認で、1日24時間の3交代制だった。女学校かと思うくらいに同世代の女性がたくさんいた。その女性たちが米兵らによる暴行事件に遭ったと何度も耳にした。でも事件が公になることはなかった。

 沖縄の日本復帰前の23歳で結婚して砂辺に来た。すぐに子どもができ、自宅にいる時間が増えた。自宅を揺らすほどのB52爆撃機の爆音が頻繁にとどろいた。そのたびに子どもの耳をふさいだ。深夜、早朝も関係なく飛び交い、子どもを泣かせた。でも爆音を止める手だては何一つない。収まるまでじっと耐えるしかなかった。

 72年に沖縄は復帰したが爆音は続いた。そんな中、国に嘉手納基地の夜間飛行差し止めを求める裁判を起こす話を住民から聞いた。「まさか、国を相手にそんなことができるのか」。驚きとともに「これで当たり前の人権が守られる」という安心感が広がった。

 復帰から10年となる1982年の2月26日。夜間飛行の差し止めなどを求めて提訴した当時601人(追加提訴で計907人)の原告の一人に名を連ねた。静かな日常を取り戻せると信じて。

(中部報道部・伊集竜太郎)

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 米軍嘉手納基地の周辺住民が夜間・早朝の飛行差し止めなどを国に求める第4次嘉手納爆音訴訟が28日、那覇地裁沖縄支部に提起される。1次提訴から40年の今年は復帰50年にも当たる。国内最大級の原告数は3万5千人余りに膨らんだ。原告や訴訟の足跡をたどった。