「山原と文学」は歴史と自然、文化の複合から生まれた。かつて那覇・首里方面から山原をどのように見ていたかを示唆する琉歌「山原に行けば哀れどや至極(ヤンバルニイキバアワリドヤシグク) 見る方や(ミルカタヤ)ないらん(ネラヌ)海と山と(ウミトゥヤマトゥ)」を紹介したのは学長の山里勝己。