年代物のフィルムカメラを店先でバラバラに分解している男性を見て、渡慶次豊さん(22)は足を止めた。約1年前、沖縄市の中部写真館でのことだ。「まだまだ立派に写るけど、写真館、もう閉めるから」。店主の久場良信さん(80)は金物屋に持って行けそうな部品を選びながら言った。ふと、渡慶次さんの心が動いた。高校時代に趣味で始めた写真だけど、今はフリーのカメラマン。いつか、自分の店を持ちたいと考えているじゃないか-。「おじいちゃん、僕に写真館を継がせてください」。2人ともコザ出身。渡慶次さんは今月、2代目店主になった。(中部報道部・平島夏実)

 中部写真館は久場さんが1971年に開いた。これまで沖縄市内で2度移転し、パルミラ通りに面した現在の場所は3カ所目の店だ。

 「カメラしか分からんよ。その他のことは、ほんと何も知らん」と言い切る久場さんは、写真一筋。中学生のころ友人にカメラを借りて夢中になり「部屋にこもって、夜な夜なコソコソ。フィルムの焼き付けを練習した」という。

 散髪屋を営んでいた父の良松さんが当時の一流フィルムカメラ「パックス」をくれたのを機に「こんな高級品を買ってもらったんだから、何があろうと写真だけをやろう」と覚悟した。沖縄市のセンター通りにあった「ビクトリー写真館」や県外の写真学校で腕を磨き、独立した。

 「50年間、ずっとコザを見てきた」と話す久場さん。ベトナム戦争中は出撃前の米兵が軍服で来店し「写真を受け取りにまた来る」と言い残していった記憶がある。

 お気に入りの作品は、沖縄市をPRする「ミスハイビスカス」を1975年の第1代から歴代、撮りためたシリーズ。「あんた美人だねえ」と率直に褒め、時には「おうちはどこね?」と遠慮なく聞いて笑わせた。渡慶次さんは「久場さんがすごいのは、その親しみやすさ。とてもまねできない」と舌を巻く。久場さんが、地元のセンター自治会やパルミラ通り会、同市文化協会の役員を歴任してきたのも人柄ゆえ、とうなずく。

 渡慶次さんは「写真館は、一人一人が人生の節目ごとに通う場所」と話す。久場さんが分解したフィルムカメラを残せなかった分、写真館と人のつながりを大切にしたいと考えている。