[#復帰検定 オキナワココカラ 沖縄タイムス×NHK沖縄放送局]

米軍のパラシュートで作られたベビードレス

「復帰を経て沖縄のファッションは大きく進化した」と語るデザイナーの仲井間文子さん=1月20日、沖縄タイムス社

米軍のパラシュートで作られたウエディングドレス(那覇市歴史博物館提供)

米軍用毛布で作った子ども用ガウン

おきなわシャツ(左から1、2枚目)やサミット当時のかりゆしウエアを広げる宮里一郎さん=4日、那覇市通堂町・県ホテル旅館生活衛生同業組合

米軍のパラシュートで作られたベビードレス 「復帰を経て沖縄のファッションは大きく進化した」と語るデザイナーの仲井間文子さん=1月20日、沖縄タイムス社 米軍のパラシュートで作られたウエディングドレス(那覇市歴史博物館提供) 米軍用毛布で作った子ども用ガウン おきなわシャツ(左から1、2枚目)やサミット当時のかりゆしウエアを広げる宮里一郎さん=4日、那覇市通堂町・県ホテル旅館生活衛生同業組合

 時代を映す鏡ともいわれる「ファッション」。77年前に地上戦を経験した沖縄では、その後27年間の米軍統治が県民のファッションにも影響した。何もかもが焼けてしまった戦争の後、県民はHBT(※注釈1)や、海外の民間人らから送られた「ララ物資」(※注釈2)の古着を仕立て直して着た。仕立てを担ったのが女性たちだった。

仕立て直し 見よう見まね

 デザイナーの仲井間文子さん(87)は「和裁が得意だった明治生まれの母は、アルバイトで赤ちゃんの着物などを作っていた」と振り返る。「大人も子どももみんな払い下げの古着を仕立て直して着ていた。沖縄独特のリフォームファッションだったと思う」

 1950年代に入ると県内各地に洋裁店が増えた。「最初は店といっても自宅でミシン1台を構えただけだったが、次第に本格的な洋裁店が増えてきた」。仲井間さんによると当時、那覇市内だけでもオーダー衣服専門の洋裁店が300軒ほどあったという。

 「アメリカのファッション雑誌に載っているシャツやスカートをまねて服を作っていた。型紙などなく、見よう見まねで生地におこしていった」

 戦争で荒廃し、主たる産業もない沖縄で生きていくために「『手に職をつけないと生きていけない』という思いが根底にあった」。大学を休学して文化服装学院(東京)に入学した仲井間さんは、59年から沖縄三越の前身「大越百貨店」に入社。以降50年以上専属デザイナーとして勤め上げた。

 浦添市美術館の宮里正子館長(73)は49年、1歳の生年祝い「タンカーユーエー」で着た米軍パラシュート製のベビードレスを今も持っている。

 ツルツルとした肌触りでフリルも施されたデザインは今も遜色ない。「両親は(沖縄戦で)焼け野原になった景色を目の当たりにした。そんな中で生まれた大切な命。少しでも華やかにしたいという思いがあったのでは」と想像する。

本土のスタイル

 1960年代に入るとデパートなどを通して、徐々に本土の華やかなファッションが沖縄にも直接入ってくる。日本復帰が現実のものと感じられるようになると、そうした風潮はますます加速した。

 松本ドレスメーカー専門学校(東京)で洋裁を学んだ屋良和子さん(71)=沖縄市=は70年代初頭に帰郷すると市の目抜き通り「一番街」で洋裁店を開いた。

 ベトナム戦争末期で街は出兵前の米兵たちがあふれ、沖縄国際海洋博覧会(※注釈3)の開催も控えていたころ。「米兵相手の飲み屋のママさんや、経営者たちがたくさん注文してくれた。1日でワンピース3枚を仕上げることもあった」。屋良さんは「寝ずに仕上げることもたびたびだった」と振り返る。

おきなわシャツ

 復帰の2年前、かりゆしウエアの原点「おきなわシャツ」が生まれた。

 県内初のホテル「沖縄ホテル」の支配人を務め、「沖縄観光の父」と呼ばれる故・宮里定三氏がアロハシャツを参考に提案。「おやじは『沖縄の観光ビジョンはハワイに追い付くことだ』と考えていた」と、息子で県ホテル旅館生活衛生同業組合理事長の宮里一郎さん(74)は語る。

 しかし当時、売れ行きは伸び悩んだという。認知度が急上昇したのは2000年の九州・沖縄サミットから。直前に「かりゆしウエア」に名称を統一し、サミットで各国首脳が着用する姿が報道されると一気に県民服となっていった。

 宮里さんは「復帰時に沖縄観光を盛り上げようと作った服が、今や沖縄を代表するスタイルになった」と感慨深げに語った。

沖縄らしさ追求

 県内でアパレルブランドを手掛けるデザイナーの久場睦幸さん(51)がファッションの魅力に取りつかれたきっかけは10代の頃。1984年、国際通りに開業した「フェスティバル」ビル(現ドン・キホーテ国際通り店)の存在だ。毎週のように通い、最先端のファッションを感じた。

 「DCブランド全盛期。沖縄と東京の距離が一気に近づいた」と述懐する。

 一方で久場さんは最近「SNSの台頭で、自己表現の一つだった『ファッション』の目的が薄れてきているのでは」と話す。現代に流行しているのは「ノームコア」のようなシンプルなデザインだ。

 そんな中で、あえて沖縄の伝統的な織物を取り入れたファッションを提案する久場さん。「『沖縄らしさ』を大切にすることで、沖縄からファッションを盛り上げていきたい」と力を込めた。(社会部・豊島鉄博、玉城日向子)

[ことば] 注釈1=HBT(エイチ・ビー・ティー) アメリカの軍服。野戦用の草色染め。戦禍により衣服が欠乏した沖縄住民に米軍から放出された。

 注釈2=ララ物資 アジア救済連盟による救援物資。同連盟は1946年、第二次大戦で被害を受け衣食住に困窮しているアジア諸国民の救済を目的に、キリスト教会世界奉仕団、アメリカ・フレンド教会奉仕団、ローマ・カトリック教会など10団体で結成された。

 注釈3=沖縄国際海洋博覧会(海洋博) 1975年7月20日から6カ月間、本部半島で開催された。27年間米軍統治下にあった状態から脱した沖縄の日本復帰記念事業の一環としての意義付けもなされた。