【読谷】「ここは毒が入った注射を打つための列」「あそこでは、お母さんに背中を包丁で刺された子どもが痛い痛いと泣いていた」-。8歳の時にチビチリガマで「集団自決(強制集団死)」を目の当たりにした上原豊子さん(80)=読谷村。当時のガマの中の状況を語ってくれた。

 避難していた家族は艦砲射撃で負傷した祖父と母、4人きょうだいの計6人。うち祖父が亡くなった。

 4月2日の朝。上半身裸の米兵が投降の呼び掛けに現れた。水も食料もあると言う。だが、周囲からは「だまされるな」との声が上がった。その後、次々と自ら命を絶つ惨状が始まった。「痛いよ」とうめく子どもの声が今も耳にこびり付く。

 子どもに布団をかぶせて火をつける母親、毒が入った注射器を看護師に打ってもらおうと列をつくる住民…。煙が充満する中で、上原さんの母は子ども4人を引き連れて出口に向かった。「真っ暗な中から家族が出たら、光が素晴らしく感じた」と振り返る。

 ガマの中に設けられた祭壇に、丁寧に手を合わせた上原さん。「天国にいる魂が慰められるよう、平和な世の中になるよう願いました」と話した。