[+50歳の島で 世替わり、あれから]前編からの続き

 県内の基地従業員は、沖縄の日本復帰で合意した日米共同声明直後の1969年末に2400人、70年末に3千人の解雇が発表されるなど、「首切り旋風」が吹き荒れていた。そのような中で、復帰直前の72年2月中旬に1629人を突然解雇することとなった。当時、基地従業員でつくる全沖縄軍労働組合(全軍労)の書記長だった友寄信助さん(88)は、復帰の決定後に次々と解雇される仲間たちを見て、「復帰は喜ぶべきことなのか」と自問自答を繰り返していた。

 米軍の容赦ない振る舞いに対抗すべく、全軍労は長期ストを決行。3月7日から10日間を予定していた全面ストは、延長を重ね35日間にも及んだ。大量解雇の撤回に加え、基地従業員の賃金や退職金の水準を本土の基地従業員と同等にすることなど、組合員がかねてから求め続けてきた要求を盛り込んだ決死のストだった。

 「『首を切るなら基地を返せ』。これが基地従業員たちの合言葉だった」。要求実現のため、スト破りの労働者を止めるためのピケも張り、労働条件協議のため東京やスト現場などを飛び回り、寝る間も惜しんで動いたと回想する。

 当時、県内基地従業員の賃金格差は本土と大きな差があった。...