[+50歳の島で 世替わり、あれから]

 復帰間近の1972年2月18日、米軍は北中城村の在沖陸軍司令部で突如記者会見を開き、県内基地の日本人従業員1629人を解雇すると発表した。事前通告もなく多数の労働者を切り捨てる内容に、県内米軍基地の労働組合をまとめる全沖縄軍労働組合(全軍労)は徹底抗戦の構えを見せた。基地従業員は米軍が雇用主のため直接の当事者ではなかった日本政府も、復帰前に社会的な混乱が起きることを懸念した。

 米軍は発表で「5月に控えた施政権返還に向けた米軍再編の結果」と説明した。ただ、当時の米政府はベトナム戦争の軍事費拡大などで財政状況が悪化。ニクソン米大統領が外国からの輸入に10%の関税をかけるドル防衛策を取るなど、財政を立て直したい思惑があった。日本への施政権返還を前に在沖米軍基地の経費合理化を図る狙いも透けて見えた。

 これまでも、米軍は散発的に数百人規模の解雇を発表してきたが、今回の規模は、佐藤栄作首相とニクソン米大統領が「72年、核抜き、本土並み」で沖縄の返還に合意した直後の69年12月に発表された2400人、70年末に発表された3千人に並ぶ規模だった。

 頻発する基地従業員の解雇撤回を求めストライキを実行していた全軍労は、米軍の発表後すぐさま会見を開いた。友寄信助書記長は「一枚の紙切れで一方的に犠牲を受けることは絶対に許せない。今度は組織の命運を懸けてでも米軍と総対決する」と怒りをぶちまけた。 (肩書は当時。政経部・松田駿太)

<後編に続く>

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