沖縄空手

「人に打たれず 人を打たず」 祖の遺訓、胸に【道場めぐり・2】

2017年4月9日 14:00

■沖縄剛柔流空手道協会比知屋道場 比知屋義夫氏(県無形文化財保持者)

比知屋義夫氏の気迫あふれる演武=1992年ごろ(提供)

空手への思いを語る比知屋義夫氏=那覇市首里石嶺町の沖縄剛柔流空手道協会比知屋道場

南アフリカから来県した空手愛好家に指導する比知屋義夫氏(中央)=那覇市首里石嶺町の沖縄剛柔流空手道協会比知屋道場

比知屋義夫氏の気迫あふれる演武=1992年ごろ(提供) 空手への思いを語る比知屋義夫氏=那覇市首里石嶺町の沖縄剛柔流空手道協会比知屋道場 南アフリカから来県した空手愛好家に指導する比知屋義夫氏(中央)=那覇市首里石嶺町の沖縄剛柔流空手道協会比知屋道場

「人に打たれず、人を打たず」。剛柔流範士10段で県指定無形文化財「沖縄の空手・古武術」保持者の比知屋義夫氏(86)は、そう心に留め、空手衣に帯を固く結ぶ。空手と出合った63年前と変わらず、背筋が伸びる瞬間だ。那覇市首里石嶺町の比知屋道場に今も立ち、指導に当たる視線は鋭い。圧倒的な技と柔和な人柄を敬い、道場には県内のみならず海外の空手家も集う。(学芸部・榮門琴音)

 「手(てぃー)習わないか?」。きっかけは空手をしていた友人の一言だった。当時23歳。「とにかくひもじい時代だったから『飯食えるのか?』と聞き返した」。いったんは断ったが、勤務先のバス会社は午前中で仕事が終わり、午後は時間が空く。友人が通う道場の門をたたいた。

 剛柔流の最大の特徴は音声を伴う呼吸法。「やったことがなかったから最初はフーフーハーハーでね」と振り返る。面白さを感じるようになり、27歳で剛柔流、宮里栄一氏(1922~99年)に師事。「もうただのフーフーハーハーじゃない。しごかれるからね」と稽古の厳しさを振り返る。

 蹴りがない、しこ立ちの型「制引戦(せいゆんちん)」に、よく取り組んだ。「宮里先生に『おまえはこれをやりなさい』と言われてね」。那覇市内の芝居小屋で開かれた年1回の演武大会で、詰め掛けた大勢に披露した。「先生は褒めることはしなかったね」と懐かしむ。

 比知屋氏の手帳には、剛柔流の祖・宮城長順氏(1888~1953年)の遺訓が書き留められている。

 〈人に打たれず 人を打たず 事なきをもととするなり。人から恨まれたり 人を恨んだりすることのないよう 人と仲良くしていこう〉

 「自分が苦しいと思ったら大間違い。世間にはもっと苦しい人がいる。そう考えたらしのぎやすい」。空手のおかげで「試練も財産」と捉えるようになったという。遺訓は自身が胸に抱く大切な教えだ。

 道場には今、高校生から60代までの弟子たちが通う。比知屋氏は柔和な人柄で知られるが、他の道場にも知れ渡るエピソードがある。呼吸法が顕著に表れる型「三戦(さんちん)」の指導法だ。弟子の体を締めるために肩をビシビシたたくという。弟子の又吉忠さん(74)は「若い時はしごかれて、シャワーを浴びるとヒリヒリするほどでした」と述懐する。

 県内にとどまらず、ヨーロッパ、中国など各国で指導。空手の国際化、海外ネットワーク構築にも力を尽くしてきた。多くの人材を育て、評価は高い。

 「アリガト、センセイ」。3月31日、道場に南アフリカから来た空手家20人の声が響いていた。比知屋氏の動きを見逃すまいと、視線が集中する。伝統の技と心を体現する比知屋氏は、教えを請う彼らに柔らかな表情で語り掛けた。

 「オールライト」

 【プロフィール】ひちや・よしお 1930年7月11日生まれ。久米島出身。23歳の時、友人に誘われ空手を始める。27歳で宮里栄一氏に師事。県空手道連盟会長や沖縄剛柔流空手道協会会長などを歴任。2013年に県指定無形文化財「沖縄の空手・古武術」保持者に認定される。

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