「その場が凍り付く異様な雰囲気だった」迫る首相にうつむく知事 “蜜月”の橋本・大田氏、最後の会談の中身 からの続き>

 橋本龍太郎首相と大田昌秀知事の17度目の会談に同席した県政策調整監の又吉辰雄氏(82)は「それまで16度の会談は知事の歓心を買うことが目的で、最終的に普天間飛行場の辺野古への移設を受け入れさせる狙いがあった」と考えている。知事が即座に断らなかったのは「過去16度の会談で情が移っていたこともあるし、沖縄振興への懸念もあった。(移設を)受け入れる余地があったわけではない」と本紙取材に説明した。(肩書は当時、編集委員・福元大輔)

 1995年に米兵による暴行事件の発生後、大田知事は沖縄の基地負担軽減を話し合うために知事選で支援を受けた社会党の村山富市首相と95年11月に2度会談。96年1月11日に就任した橋本首相とも12日後の同月23日に初めて会談した。

 又吉氏は96年4月に基地問題担当の政策調整監に就任した。当時は橋本氏とモンデール米駐日大使が普天間飛行場の返還合意を発表し日米特別行動委員会(SACO)で基地負担軽減の協議が進む一方、使用期限の切れた県内軍用地の強制使用手続きを大田氏が拒否し、国と県が裁判で争うなど混沌(こんとん)とした状態だった。

 又吉氏は「首相と知事の会談では細かいことは話さない。時には知事の著書の話を持ち出したり、日米首脳会談の結果を報告したりと信頼関係構築に務めていた印象がある」と語った。

 この間、橋本氏は大田氏とクリントン米大統領との対面をお膳立てしたほか、...