1996~97年、当時「蜜月」ともいわれた橋本龍太郎首相と大田昌秀知事(いずれも当時)の17度目となった最後の会談で、県側から政策調整監として唯一同席した又吉辰雄氏(82)が12日までに沖縄タイムスの取材に応じた。米軍普天間飛行場を移設するため名護市辺野古での調査を続けたいとする橋本氏に対し、大田氏は一言も答えず「その場が凍り付くような異様な雰囲気だった」という。当時「知事が調査を受け入れる」との見方があったことに、又吉氏は「同床異夢と知りつつの17度の会談で、知事が受け入れると政府が判断していたとすればボタンのかけ違いだ」と否定した。又吉氏が会談の詳細を明かすのは初めて。

大田昌秀知事(当時)と橋本龍太郎首相(同)の17度目の会談について語る又吉辰雄氏=1月、宜野湾市内

主な会談と出来事

大田昌秀知事(当時)と橋本龍太郎首相(同)の17度目の会談について語る又吉辰雄氏=1月、宜野湾市内 主な会談と出来事

 会談は97年12月24日夜、首相官邸で開かれ、向かい合ったソファの片側に政府側から橋本氏と古川貞二郎官房副長官(当時)、県側から大田氏と又吉氏の計4人のみが座り行われた。

 その3日前には普天間移設に伴う名護市東海岸での海上ヘリ基地建設の賛否を問う市民投票が行われており、隣の部屋には、市民投票の結果を覆し移設を受け入れて辞任する意向を固めた比嘉鉄也名護市長(同)が控えていた。

 橋本氏は「隣に比嘉市長がいらっしゃるがお会いできませんか」と大田氏に尋ねたが、又吉氏は「即座に断った」と記憶する。

 その後、橋本氏は「名護市での調査を続けさせてほしい」と静かな口調で畳み掛けた。大田氏はうつむき、黙り込んだという。時間は流れ、又吉氏は「後日返答しましょう」と大田氏に促し退席した。

 当時の心境を「(橋本氏に)情が移ったのか、大田氏は断ることも、受け入れるわけもなく黙っていた。事態を打開するのが私の役割と思った」と話した。

 大田氏は翌98年2月6日、海上ヘリ基地に反対を表明。18度目の会談が開かれることはなかった。

 日本と沖縄のトップの異例ともいえる17度の会談。又吉氏は「互いに一致点を見つけようと譲歩してきたが、基本的な立場、考え方に大きな乖離(かいり)があった」と指摘した。

(編集委員・福元大輔)