[戦後77年]

手を合わせ、戦没者に祈りをささげる島民=26日、座間味村の平和之塔

 77年前に米軍が沖縄県座間味村に上陸した3月26日に合わせて同村の住民らが26日、「平和之塔」を訪れ、1200人余りの戦没者に祈りをささげた。村主催の慰霊祭は5年に1度行われ、昨年開催。今年は自由参拝となり、正午までに35人が訪れた。

 家族と平和之塔を参拝した田中良旺(らおう)さん(13)は、祖母の田中美江さん(91)から村で起こった「集団自決(強制集団死)」の話を聞いた。「『死のうと思ったけど、手りゅう弾が爆発しなくて生きようと思った』と聞いた。もし手りゅう弾が爆発していたら、自分はいなかった」と話す。

 幼いころから祖母の話を聞き「また戦争が起きたら嫌だ。何で平和にならないんだろう」。遠いウクライナの地で起きている戦闘にも心を痛めている。

 ペンションを経営する宮平一明さん(40)は、観光客に海や自然の美しさだけでなく、島で起こった悲惨な地上戦のことも伝えている。「それも含めて、沖縄を好きになってほしい」。毎年この日に平和之塔を訪れる。「島に生まれ、暮らす者として、安らかに眠ってほしいとの思い。後世に伝えるのが島の若い人たちの使命」と手を合わせた。

 米軍は1945年3月26日に阿嘉、慶留間、座間味島へ上陸。27日の渡嘉敷島、4月1日の沖縄本島上陸へ続く「沖縄戦」が始まった。座間味島内では「集団自決」で177人が亡くなったとされる。(南部報道部・我喜屋あかね)