[#復帰検定 オキナワココカラ ]

ライカム交差点近くに立てられていた「ようこそコザ市へ」と書かれた看板=1971~74年ごろ、コザ市山里(沖縄市総務課市史編集担当所蔵)

「沖縄市」が生まれた、コザ市と美里村の合併協議を振り返る、元美里村役場職員の中村良男さん=3月17日、沖縄市知花の自宅

「コザ」への思いについて語る平一紘さん=3月17日、沖縄市上地・コザ・ミュージックタウン

ライカム交差点近くに立てられていた「ようこそコザ市へ」と書かれた看板=1971~74年ごろ、コザ市山里(沖縄市総務課市史編集担当所蔵) 「沖縄市」が生まれた、コザ市と美里村の合併協議を振り返る、元美里村役場職員の中村良男さん=3月17日、沖縄市知花の自宅 「コザ」への思いについて語る平一紘さん=3月17日、沖縄市上地・コザ・ミュージックタウン

 「コザ」「730交差点」「ライカム地区」「パイプライン通り」-。沖縄には独特な地名や通りの名称が多い。当たり前のことだと思っていたけど、調べてみると50年前の日本復帰にまつわる歴史や人々の思いが関係していた。

◇沖縄市誕生への道のり

 沖縄市は1974年4月1日、コザ市と美里村が合併して誕生した。復帰後、沖縄では初の市町村合併で、「沖縄市」という名称に決まるまでもさまざまな道のりがあった。

 「合併は本当に大変だった。苦労の連続」。1973年から合併協議会事務局で合併を協議していた、元美里村役場職員の中村良男さん(84)はそう振り返る。

 中村さんによると、当時の大山朝常コザ市長と中村哲二郎美里村長は当初から「対等合併」を意識していた。「大山市長は『沖縄市でもいいんじゃないか』とおっしゃったそう。吸収合併は最初から頭になかった」

 ただ、当時の公募では384票のうちコザ市(65票)が最多、沖縄市は62票で2位だった。

 それでも、(1)コザと美里の両市村民間で最も抵抗なく受け入れられる(2)沖縄の中枢都市建設を図ることを目標にし、国際文化観光都市の象徴として対外的にもネームバリューがあること-などから、「沖縄市」が選ばれた。

 「両市村長の意向も大きかったのでは」と中村さん。他には中頭市(13票)や胡差市(12票)、中部市(8票)などが公募で寄せられた。大山と中村の両氏の頭文字を取った「大中市」(6票)もあった。

◇村長を「軟禁」

 美里村内の一部では、当時激しい反対運動が起こった。合併を議決する美里村議会に反対派が押し寄せ、中村村長が村長室に軟禁状態になったという。

 合併が議会で決まった数日後には、安全のため議長とともに鹿児島県に一時逃避した。「合併後の財政計画がコザ市中心だという不満や、美里村側にごみ処理場などが置かれるのでは、という不安の声が多かった」と語る。

 紆余(うよ)曲折を経て誕生した沖縄市は、2024年に誕生から50年を迎える。「基地経済からの脱却を目指して行われた合併。沖縄市に変わり、街も発展した。合併は正解だった」と述懐した。

 一方で、コザという呼び名は、店舗名やテレビ番組などで今も広く使われている。ことし2月からは1970年のコザが舞台の映画「ミラクルシティコザ」が全国で公開されている。

◇器の大きい街

 同作監督で、沖縄市出身の平一紘さん(32)は「最も街が盛り上がっていた時代に呼ばれていた名称を、愛着を込めてみんな使っているのでは。カタカナ2文字なのも面白い」と語る。「コザの街の魅力は何でも受け入れる器の大きさ。50年前の経済が潤っている時期に、多くの人が来て今でもその素養が残っている。これからこの街がどうなっていくのか、今から楽しみです」と笑顔を見せた。(編集局付・豊島鉄博)