[#復帰検定 オキナワココカラ ]

コザ市制5周年記念式典で、市政功労者や永年勤続者に賞状を贈る大山朝常市長(左)=1961年8月20日、コザ市・コザ琉米親善センター

 「ヤマト世」から「アメリカ世」、そして再び「ヤマト世」へ-。時代の変遷に、沖縄の地名や街路名は大きな影響を受けてきた。

 現在約14万人が暮らす沖縄市は、日本復帰後初めての市町村合併で生まれた市だ。しかし今でも復帰前の名称「コザ」で呼ばれることも多い。

 かつて「コザ」は全国で唯一のカタカナの自治体名だった。その由来は諸説ある。

 沖縄市史によると、1944年に作成された米軍の戦略マップに胡屋や古謝に「koza」という読みがなが振られていた。別の地図では胡屋を「koya」とも表記していることから米軍が筆記体の「y」と「z」を見誤り「koza」(コザ)と記した可能性が大変高いという。

 その後の45年4月、米軍が越来村(当時、現在の沖縄市)の嘉間良一帯に宣撫(せんぶ)隊本部を設置し「キャンプ・コザ」と呼んだことが、後の「コザ市」の語源となったとされている。

 一方、復帰から6年後の1978年7月30日には、県内で一夜にして自動車の通行が右から左に変わった「730(ナナサンマル)」が実施された。全国でもまれな交通変更は県民生活のエポックとなった。この名を冠した唯一の交差点が石垣市にあるという。

 「コザ」と「730」。復帰と深く関わる「地名」の由来を取材した。(編集局付・豊島鉄博、北部報道部・玉城日向子)