[#復帰検定~オキナワココカラ]

 沖縄には独特な地名や通りの名称が多い。当たり前のことだと思っていたけど、調べてみると50年前の日本復帰にまつわる歴史や人々の思いが関係していた。

◇ライカム地区

 沖縄県内最大級のショッピングモール「イオンモール沖縄ライカム」を中核とした、北中城村の米軍泡瀬ゴルフ場跡地の一帯。元は在沖米軍の司令部「琉球軍司令部(RyukyuCommand=リュウキュウ・コマンド)の略称。北中城村議会が2018年、新しい字名として「字ライカム」を認定する議案を全会一致で可決した。

◇パイプライン通り

 在沖米軍の燃料用送油線(パイプライン=正式名称は陸軍貯油施設)が地中に敷設されていた通り。施設は8カ所のタンクファーム、2カ所のブースター・ステーションとこれらを連結する管径9・14メートルのパイプラインからなる。戦後すぐの1949年~56年の間に敷設され、敷設地は那覇から読谷までの5市2町1村にまたがっていた。地上部分にはバルブボックスなどが露出しており、油流出事故も再三発生。環境上・防災上・都市計画上などの点から問題になってきた。民間地域からの撤去を求める声が高まり、これまでに一部返還されている。

◇ニシムイ美術村

 首里城の北(ウチナーグチで『ニシ』)に位置する現在の首里儀保町周辺に戦後、名渡山愛順(などやま・あいじゅん)、屋部憲(やぶ・けん)などの8人の画家たちが集まって住んだ美術村。画家たちはアメリカの軍人の肖像画や注文に応じて絵を描いていた。こうした創作活動が戦後の沖縄の美術復興の源流となった。

◇桜坂

 那覇市国際通り南側の一角にある歓楽街の俗称。1952年平和通りに面する崖が切り開かれて道が広げられ、丘の上に演劇専門劇場として珊瑚座が完成。坂道には桜100本が移植された。やがて劇場のまわりに飲食店が出現、一大歓楽街に発展した。(沖縄タイムス社刊行「沖縄大百科事典」から)

◇平和通り

 那覇市の国際通りから壺屋へ通ずる約330メートルの商店街・市場通り。戦後まもない1946年ごろ旧市街が米軍による立ち入り禁止地域になっていたことから、それまでは畑中道だったこの地にバラック集落ができた。48年には闇市場やテント小屋の公設市場が出現。しかし大雨のたびにガーブ川が氾濫。川野改修とともに改善されていった。名称は48年公募によって付けられた。(「沖縄大百科事典」から)

◇国際通り

 那覇市の中心街。県庁前から安里三差路までの約1・6㌔の繁華街。戦前は湿地が広がる郊外の県道だったが、1953~54年に改修されて発展して一大繁華街となり「奇跡の1マイル」と呼ばれるようになった。名称は当時通りに面していた国際劇場(アーニーパイル劇場)からきている。

◇マクラム道路

 石垣市の轟川付近から伊原間までの道路で、現在は国道390号の一部。1947年に竣工。米軍政府の援助を受け、人馬がようやく通れるほどの小道を、たった56日間で自動車が通れるように整備したため、当時の石垣の人々は驚いたという。道路の名前は石垣に赴任していたマクラム中佐から名付けられた。