[戦後77年]

犠牲者の冥福や恒久平和の祈りをささげる遺族会の與那覇徳市さん(手前)と遺族関係者ら=2日、読谷村のチビチリガマ

 【読谷】77年前に「集団自決(強制集団死)」が起きた読谷村波平のチビチリガマで2日、遺族会主催の慰霊祭があった。生存者を含む遺族ら17人が参列し、犠牲者の冥福を祈り、恒久平和を願った。(中部報道部・仲村時宇ラ)

 慰霊祭では、遺族らがガマ内部の祭壇に線香を手向け、手を合わせた。遺族会の與那覇徳市さん(79)は手を合わせながら「ロシアが力任せにウクライナに侵攻している。この世から戦をなくし、平和な世の中にしないといけないと思っているが、力及ばない。力を貸してください」と祈りをささげた。

 1945年4月1日、沖縄本島に上陸した米軍はチビチリガマ周辺まで侵攻。翌日、ガマへ避難した住民約140人中、85人が亡くなった。

 当時8歳で体験者の上原豊子さん(85)も参列。子どもに布団をかぶせ、火を付けたり、毒の入った注射を並んで待つ住民の姿などを目にしたと語った。

 母に連れられ、煙の充満するガマを出た瞬間は「緑と光が本当に素晴らしく、生きていて良かったと思った」と振り返り、「世界が平和になるよう願った」と話した。

 遺族会の與那覇徳雄会長(68)は「生き残った方も体験を伝えたいという思いになっていると感じている。しっかりと体験を聞き、いろんな方に伝えていきたい。チビチリガマの悲劇を二度と起こしてはいけない」と訴えた。