憲法学者で本紙に「憲法の新手」を連載中の木村草太氏(東京都立大教授)の講演会「沖縄日本復帰50年~沖縄と憲法」(主催・沖縄タイムス社、特別協力・連合沖縄)が4日、那覇市久茂地のタイムスホールで開かれた。米軍統治下で沖縄側が政治的意思を表明できない状況で基地が集中した経緯に触れ、「非常に不公平で政治的自由、公平の観点から、あるべき事態ではない」と指摘した。また、ロシアによるウクライナ侵攻で議論が起きている憲法9条改定論議にもくぎを刺した。復帰50年の節目に、沖縄の視点で憲法を語った。講演内容やフロアとの質疑を紹介する。

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 1945年8月、日本はポツダム宣言を受諾した。宣言には基本的人権の尊重の確立、民主主義の復活強化という2項目の実現要求があった。大日本帝国憲法では不十分で憲法改正の作業が始まり、47年5月3日に施行された。

 沖縄はポツダム宣言受諾時点で既に米軍占領下。憲法制定過程で沖縄の代表や県出身の官僚、学者は参加していない。

 沖縄県出身者や北海道のアイヌ民族の方がかかわっていたら、少数民族の尊重や文化の保護などが憲法に組み込まれた可能性は大いにあると考えられる。日本国憲法は、国内にある多様な民族、文化の尊重にはそれほど意識を寄せていない。

■本土で反基地運動

 連合国軍総司令部(GHQ)が日本全体を占領していた1950年代初頭は、米軍基地は日本各地に分散していた。だが、52年のサンフランシスコ講和条約で日本は主権を回復した。占領終了後も外国軍の基地が身近にあるのは気持ちいいものではない。本土では表現の自由が保障された憲法の下、砂川闘争など反基地運動が盛り上がった。

 一方、沖縄は米軍の直接占領下にあり、反基地運動を組織的に展開すれば弾圧される状況だった。本土で反基地運動が広がり、米海兵師団が岐阜、山梨、静岡県から沖縄に移転した。こうした経緯が本土では忘れられている傾向がある。

 米国、本土ともに米軍占領下の沖縄は基地を押しつけやすい場所だった。だが、これは非常に不公平だ。政治的な意思を表明できない人に、基地という極めて政治的な問題の解決を押しつける。あるべきではない事態だ。

■復帰前年の建議書

 沖縄戦、その後の米軍統治の歴史を踏まえ、沖縄と憲法という関係をどう理解していくべきか。復帰の前年の71年、沖縄返還協定がまさに結ばれようとしているタイミングで琉球政府の行政主席、屋良朝苗氏は復帰措置に関する建議書を作成した。ここにも憲法のことが書かれている。...