弁護士として、また国会議員として基地被害が絶えない沖縄の不条理を訴え続けた照屋寛徳さんの訃報に、県内から惜しむ声が相次いだ。「革新の巨星墜つ」-。活動を共にした弁護士や元議員だけでなく、同世代の保守系政治家も復帰50年の歴史と重ねながら、照屋さんの足跡をしのんだ。

 弁護士の池宮城紀夫さん(82)は「信じられない」と言葉を詰まらせた。照屋さんが弁護士時代、多くの裁判で共に活動し、嘉手納爆音訴訟は第1次提訴から奔走。「二人三脚でやってきた無二の親友であり同志だった」

 辺野古新基地建設など沖縄が基地問題で国に厳しい状況を強いられる中、国会議員を引退した照屋さんが弁護士活動を本格化し、再び共に活動できることを心強く思ったといい「一緒に闘えると期待していた。大変、大切な人を失ってしまった」と声を落とした。

 元読谷村長で元参院議員の山内徳信さん(87)は村の顧問弁護士時代から「徳徳コンビ」を築き、国会議員時代、共に基地問題に取り組んだ照屋氏を、年下ながら「政治の父」と仰いできた。「沖縄に基地を押し付けるのは許さないと立ち上がったのが寛徳さんだった。残念で仕方がない」

 照屋さんは基地問題以外でも主張を繰り広げた。97年、人名用漢字に「琉」が追加され、名前使用が認められたが、当時、法務大臣への直訴や国会質問を通して世論を後押しした。保革の垣根を越えて、保守系政治家とも交友を築いた。

 県議や参院議員として自民や日本維新の会を渡り歩いた儀間光男さん(78)もその一人。照屋さんはサイパン生まれ、儀間さんはテニアン生まれで共に南洋群島をルーツに持つ。互いに政治スタンスは違ったが、戦争を生き延びた2人の友情と平和を願う思いは変わらなかった。「革新の巨星墜つ。復帰50年の節目を前に、偉大な人が亡くなった。ウクライナ情勢が緊迫する中、後ろ髪を引かれる思いで旅立ったのではないか」と惜しんだ。...