弁護士から国会議員に転身した照屋寛徳さんは言葉の持つ力を重視した。国会や米軍基地問題の集会などでの発言は、ユーモアと鋭い言葉を織り交ぜる“寛徳節”で平和を願う沖縄の思いを代弁した。

衆院予算委で質問する照屋寛徳氏(社民)=2010年9月

 「私は捕虜が生んだ捕虜です」。サイパン島の米軍捕虜収容所で生まれた照屋さんは、自己紹介で聞く側を一気に引き寄せた。2003年、衆院議員に初当選した際は、当時社民党の党首だった土井たか子さんに戦後の沖縄で困難を生き抜いた人物として党を率いるよう要請されたこともあった。

 国会でも寛徳節は忘れなかった。汚職疑惑の防衛事務次官を証人喚問した際に「ゆうべはよく眠れたか」と質問。「眠れた」との回答に「世間では悪いやつほどよく眠ると言われる」と皮肉った。

 最も大切にした言葉は「ウチナーの未来はウチナーンチュが決める」。初当選から発信し続けた言葉は、集会で聴衆を奮い立たせた。米軍基地問題の解決のため、沖縄に国策の犠牲を強いる根源の日米地位協定の全面改定を求める思いが込められていた。

 21年10月の衆院解散で沖縄に戻った際には空港で家族や友人に出迎えられ、同じフレーズを口にしながら「地位協定改定を実現できず悔しい」と涙を流し衆参7期24年の任期を終えた。(社会部・銘苅一哲)