[心のお陽さま 安田菜津紀](4)

幼い頃の筆者と父・清達

 3月最後の水曜日、昼下がりの那覇市役所前を訪れた。毎週この場所では、ヘイト街宣を阻止するため、「NO HATE」の旗のもとに、市民の有志が集っている。地道な活動が実り、すでに100週、差別言動を繰り返す街宣が阻止されている。差別の矛先を向けられる側の尊厳を踏みにじるのは、言葉の暴力そのものだけではない。周囲の無反応が、より絶望感を深めるのだ。だからこそ、「見過ごさない」という意思を持ち寄ってきた市民の活動の積み重ねには、頭の下がる思いだ。

 2月に刊行した拙著「あなたのルーツを教えて下さい」には、私自身の父の歩みも綴(つづ)っている。父は私が中学2年生の時に亡くなった。その後高校生になり、自分の戸籍を手にしたとき、父の欄にあった「韓国籍」という見慣れない文字が目にとまった。父はなぜ、在日コリアンだったことを語らなかったのか。それを、死者に尋ねることはもうできない。

 京都市伏見区にあった父の生家は、かつての京都朝鮮第一初級学校の近くだ。2009年12月を皮切りに、在特会が3度にわたりこの学校を襲撃し、「日本から叩(たた)き出せ」と醜悪の限りを尽くした言葉を拡声器で投げつけた。差別を消費する彼らの姿に触れながら思う。父は自分のルーツを、語らなかったのではなく、語れなかったのではないか、と。

 「差別はいけない」という認識自体は、広くこの社会で共有されているはずだ。それでもヘイトがはびこる背景のひとつには、法体系の脆弱(ぜいじゃく)さがある。いまだに日本社会には、差別を包括的に禁止する法律が存在せず、条例のある自治体も限られている。那覇市役所前での活動のように、市民の自助努力によって辛うじてせき止めているのが現状だ。

 誰しもがルーツをつまびらかにするべきだとは思わない。ただ、隠したくもないのに隠さざるをえない状況が根深く残る社会は、豊かとはいえない。次世代が理不尽な矛先を向けられないための仕組みを築くことは、今を生きる私たちの責務ではないだろうか。

(認定NPO法人Dialogue for People副代表/フォトジャーナリスト)