[okinawa復帰50年]

東京行動のパレードで、「売国奴」といった罵声を浴び、唇をかむ新里米吉さん(左端)=2013年1月27日、東京・銀座の数寄屋橋交差点

沖縄の日本復帰などについて語る新里米吉前県議会議長=14日、西原町内

新里米吉さんが選んだ復帰50年十大ニュース

復帰50年十大ニュースのQRコード

東京行動のパレードで、「売国奴」といった罵声を浴び、唇をかむ新里米吉さん(左端)=2013年1月27日、東京・銀座の数寄屋橋交差点 沖縄の日本復帰などについて語る新里米吉前県議会議長=14日、西原町内 新里米吉さんが選んだ復帰50年十大ニュース 復帰50年十大ニュースのQRコード

 沖縄タイムスと琉球朝日放送(QAB)の共同企画「あなたが選ぶ復帰50年十大ニュース」アンケート。前県議会議長の新里米吉さん(75)は、この50年間のニュースで1972年の「沖縄の日本復帰実現」を真っ先に選んだ。(編集委員・福元大輔)

 「米軍占領支配に我慢しきれず、爆発したのが復帰運動だった」と振り返る。その実現が迫る一方、米軍基地の多くがそのまま残ることが分かった。高教組のメンバーとして、日米の沖縄返還協定に反対する集会に足しげく通っていた。

 復帰の日は定時制高校での勤務中で、雨の与儀公園での抗議集会には参加できず、憤まんやるかたない気持ちを抱えていた。「いまだに米軍基地が集中しており、この問題は続いている」と語った。

 82年の教科書検定で、日中戦争の「侵略」を「進出」に置き換え、沖縄戦の「日本軍による住民殺害」の記述を削除させたことも忘れられない。日本社会の右傾化が教科書検定にも表れ、2006年度に高校日本史教科書から沖縄戦の「集団自決(集団強制死)」に対する日本軍の強制を示す記述を削除させたことなどにつながったと考えている。

 新型コロナが猛威を振るったのは議長任期の最終盤で、20年5月の臨時議会でコロナ対策の補正予算などを審議したのを最後に勇退した。「住民生活や県経済にこれほど大きな打撃を与えた出来事はない」と強く印象に残っている。

 首里城火災も議長の任期中に起きた。焼け落ちた正殿を前にぼうぜんとしたが、翌日から寄付集めに奔走する高校生の姿に励まされ、「必ず再建できる」と気持ちを切り替えた。

 1987年の海邦国体にはバレーボール成年男子6人制の監督で出場し、開催県で3位入賞を果たした。

 普天間飛行場の県内移設断念やオスプレイの配備撤回を訴えた2013年の東京行動では、デモ行進の際、街頭から「国賊」「ドブネズミ」などと罵声を浴びた。何より腹立たしかったのは「国のために沖縄が犠牲になるのは当然」といったヤジだ。「だったらあなたの住む地域で引き取ればいい」。そう言い返したかったのを覚えている。

◇    ◇

 「あなたが選ぶ復帰50年十大ニュース」のアンケートは、沖縄タイムスのホームページ(HP)から投票できます。どうぞご参加ください。その中から県内の著名人に聞いた「私の選ぶ復帰50年十大ニュース」を紹介します。(随時掲載)

アンケートはこちらから。https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/924184