[あなたが遺した物語](4) 山内舞子さん

抗がん剤治療で抜けた髪の毛が生えそろってきた頃の山内舞子さん。夫婦で旅した宮古島でたくさんの笑顔を見せた=2014年8月(提供)

友人たちに呼びかけ、山内舞子さんの写真集を作った長濱広樹さん=8日、那覇市

舞子さんの思い出の品を手にする母のあゆみさん=3月、那覇市内の自宅

18歳の誕生日、祖父母と一緒にポーズを取る舞子さん(中央)。昔かたぎの祖父も孫娘のリクエストは断らなかった=2005年3月(提供)

舞子さんが当時5歳の妹に送ったメッセージカードには「おともだちやかぞく、だれにでもやさしいおんなのこになってね」とつづられている

抗がん剤治療で抜けた髪の毛が生えそろってきた頃の山内舞子さん。夫婦で旅した宮古島でたくさんの笑顔を見せた=2014年8月(提供) 友人たちに呼びかけ、山内舞子さんの写真集を作った長濱広樹さん=8日、那覇市 舞子さんの思い出の品を手にする母のあゆみさん=3月、那覇市内の自宅 18歳の誕生日、祖父母と一緒にポーズを取る舞子さん(中央)。昔かたぎの祖父も孫娘のリクエストは断らなかった=2005年3月(提供) 舞子さんが当時5歳の妹に送ったメッセージカードには「おともだちやかぞく、だれにでもやさしいおんなのこになってね」とつづられている

 友人たちのスマートフォンやデジタルカメラの中の彼女を集めたら、およそ100通りの笑顔が輝いた。その名も「グッドスマイル舞子写真集」。主役の山内舞子さんはもう、この世にはいない。2016年6月、卵巣がんのため29歳で旅立った。

 写真集は舞子さんと小中高校で一緒だった長濱広樹さん(35)が同級生に呼びかけて制作し、四十九日法要の日に家族へ手渡した。那覇市に住む母のあゆみさん(55)は「すてきな友だちに恵まれた。すごくありがたいこと」といとおしそうにめくる。

 舞子さんの卵巣に腫瘍が見つかったのは13年6月。血液検査で異常はなく「98%良性」の医師の言葉は病理検査で覆された。がんは腹腔(ふくくう)内に広がっていた。

 〈大丈夫!大丈夫!!治ります!〉〈これは遺書ではなくおばーになった時によみかえして笑うため。孫に伝えるため!!〉。当時の日記には、不安や恐怖を抱えつつ自らを懸命に鼓舞する姿が垣間見える。

 告知の3カ月前、大学時代に知り合った1歳下の男性と結婚。抗がん剤治療が始まっていた14年2月には、結婚式と披露宴を開いた。

 その祝宴の日、栗色のウィッグで着飾った新婦は、母への手紙に「小さい頃から、お母さんが笑顔でいることが望み」とつづり、翌朝の5次会までいつものように多くの仲間に囲まれた。病気を知らされていた長濱さんは「ネガティブな様子を見せない、舞子らしい最高にはじけた結婚パーティーだった」と思い返す。

 小学校入学前に両親が離婚。同じ母子家庭で近くに住む2人のいとことは、きょうだい同然ににぎやかに育った。優しくて気配り上手だから、頑固で短気な祖父も舞子さんのとりこ。祖父が祖母にきつく当たっている場面を目にすれば、すかさず間に入って笑いを取った。

 大学4年の時、あゆみさんが再婚男性との間に次女を授かると、21歳差の妹をとてもかわいがった。高齢者も子どもも大好き。自然と福祉関係の仕事を志した。千葉県の短大で介護福祉士、編入した沖縄大で社会福祉士の資格を取得し、卒業後は社会福祉協議会で要援護者を支える仕組みづくりやボランティア活動のサポートに取り組んだ。

 がんの発覚は、万事順調に見えた日常を一変させた。卵巣の摘出や腸閉塞(へいそく)、肺への転移。3年の間に、数々の試練に襲われた。 

 16年の父の日、舞子さんのリクエストで焼き肉店に家族で出かけたが、1口が限界だった。「入院したくない」と家で10日ほど過ごしたものの、もう食べる力はなく、足は浮腫でぱんぱん。低血糖で意識を失い救急車で運ばれた5日後、夫とあゆみさんに見守られ息を引き取った。「ごめん」。それが最後の言葉になった。

 告別式には予想を上回る約700人が参列し、会場周辺の交通渋滞に「どこの社葬?」と驚くタクシー運転手も。「あんなに良い子に育てたあなたの評価も上げた。最後の親孝行だね」。そう寄り添う周囲の声に「でも」とあゆみさんは続けた。「友だちは多くなくていい。親孝行もいらない。ただ、あの子が元気でいてくれたなら」

 21年2月。勤務先のあゆみさんの元に、舞子さんの元夫からラインのメッセージが届いた。〈女の子が生まれました〉。彼は舞子さんが他界して3年後に再婚。第1子の誕生はあの結婚式と同じ日だった。

 「不思議な巡り合わせに、舞子から『彼の赤ちゃんの誕生日を忘れないでね』と言われている気がした。姿はなくても、きっと舞子も、新しい彼の人生を祝福している」。あゆみさんは目を潤ませる。

 遺骨が納められている寺には月に1度、花を持って手を合わせに来る70代の男性がいる。社協時代の舞子さんを知る地域住民で、たくさんの人々に愛されたわが子がまた、誇らしくなる。

 もうすぐ七回忌の節目。喪失感は埋めようもないが「健康な毎日に感謝しながら、家族みんなで笑って生きていきたい」と誓うのは、それが天国の娘の一番望むことだと思うからだ。(学芸部・新垣綾子)

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