[4・28「屈辱」いまも 対日講和条約発効70年](1)米軍機事故

 生活の場で突然、惨事は起きた。米軍施政下にあった1965年6月11日夕方、米軍ヘリからパラシュートで投下されたトレーラーが沖縄県読谷村親志の民間地に落下し、当時小学5年生の棚原隆子さんが亡くなった。学校から帰宅していた隆子さんはトレーラーが落ちてくるのを見て、逃げようとして家の外に出た瞬間、下敷きになった。

 同級生で近所に住んでいた山川宗盛さん(67)は「米軍機が上空を飛ぶのは日常茶飯事で、気にも留めなかった。ここに落下して、友達が亡くなるなんて」。現場を囲む大人たちのそばで、恐怖と悲しみに襲われた。事故直後は、近くの商店に行くのもためらった。

 やはり同級生だった根神恵子さん(67)も、米軍機事故が起きるたびにあの日を思い出す。「忘れられない、忘れてはいけない日なんです。二度と同じような事故があってはいけない」

 しかし、県によると復帰後の米軍機関連の事故は826件に上る。墜落や部品落下、不時着が含まれる。

 「いつかここにも落ちるんじゃないか」。キャンプ・ハンセン内のヘリ着陸帯に近い宜野座村城原区に住む50代の女性は、不安と隣り合わせの生活だ。パイロットの顔が見えるほどの低空飛行や夜間訓練が繰り返される。...