沖縄戦終焉(しゅうえん)の地の糸満市。県内に329基といわれる慰霊塔の約3分の1に当たる103基が市内にあり、中でも県外都道府県の塔は43基と集中する。平和祈念公園のある摩文仁、ひめゆりの塔がある伊原区民らは日々、慰霊団や修学旅行生らを迎えて沖縄観光を支えてきた。(南部報道部・又吉健次)=毎週日曜掲載

 1945年、激しい地上戦が展開された沖縄。米軍の前に劣勢となった旧日本軍は本土決戦の時間稼ぎとして、司令部のあった首里から摩文仁に撤退。民間人に日米の軍人らを加えて20万人余が命を落としたといわれている。

 兄や夫、わが子が最期を迎えた場所を見たいと願う遺族は戦後、沖縄を訪ね慰霊塔を建立した。53年に山梨県が八重瀬町具志頭、54年には北海道が糸満市米須の魂魄の塔そばへそれぞれ塔を設置した。

 建設ラッシュは61年ごろから。沖縄戦当時の沖縄県知事を追悼する島守の塔があり、旧日本軍トップをまつる黎明之塔に近いためか、摩文仁に各県の慰霊塔が集中する。本紙66年8月21日付の記事は「槌音絶えない摩文仁丘 まさに慰霊碑の団地」の見出しで、62年の秋田県慰霊塔の建設がきっかけになったと記している。

 各県慰霊塔が集中する一帯はもともと、摩文仁区民が所有する松林や畑だった。高台に唯一ある売店で働く区民の平田夏子さん(89)によると、夫の実家側の土地は売却されて跡地に富山県の慰霊塔、売店やお手洗いが建てられた。...